大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

稽古記録180(2019/8/25)

019/8/25 (日) 

                   <まとめ >

 1.  3,000回はトライする

 2. それを捨てるためにそれを手に入れる。例「力のぶつかり合い」

 

 昔は、合気道をはじめるような人はすでに基本的な武術を嗜んでいるのが当たり前だったのでしょう。「前提条件」です。現代は違います。日常生活動作の機能すら落ちています。だからそこらへんを自分で補填しなければ、合気道の習得もままならないでしょうね。

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 Fig.1リンゴを捕まえろ

合気道に必要な「前提条件」のTIPS は、意外なところにポツンポツンと落ちている。RPGといいますか、「アンタレスα星に帰還するのに必要なチップが割れて世界中に散ってしまったのを探して集めていく主人公と仲間たち云々」系のラノベごっこみたいな、面白さはありますよ。

 何の話をしているかというと、「合気道道場の門をたたく前に、自分はこうでありたかった」状態を、時間を逆流して回収していくゲームです。時間は一方向ではないという理論ですね。

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Fig.2 理想の自分=物語序盤の理想の主人公

 

1.力の戦いをしている段階(ラノベでいうと第1章)

1-1.ありきたりな第1章の必要性

体を鍛えまくって力をつけたが、その後「力じゃないのだ!」と気づくシナリオです。私は、最終的に「力じゃない」となるなら、ひたすら体を鍛える時間はショートカットすべき、と思っていました。しかしこのくだりは必須な気がするのです。

その理由は、力を使わずに技ができるということは、「力を使っていないから技ができる」のではなく、「力を最小限しか使わなくても技ができる技術・位置取り・角度を習得している」のだと思うからです。それには力を十分使って、それが最小限になる技術・位置取り・角度を探っていかねばなりません。ぶつかり合いです。

 

1-2. 第1章の終盤への流れをつくる

「力のぶつかり合い状態」をのちに脱却するための「力のぶつかり合い練習」ですから、いつまでもとどまっては意味がありません。しかし抜け出すには自力では難しく、間違いを指摘してくれる存在は絶対欲しいところです。だから、同様の体験を経てきた先輩もしくはやばい先生という必須プロット、「ヨーダ役」との遭遇。それはもう人の評価は本当に関係なく結局偶然ですから、RPG出場中だと思って淡々と何度もトライします。

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Fig.3「内腿を強く。」意外な人(?)が導師に

 

1-3. ヨーダを探す旅のポイント

単純にキャラとの接触回数を増やします。どんなに出会いの確率が低くても分母を増やせばいいのです。ひたすら自分の足と目を投入しましょう。

あとは、探すフィールドの範囲をひろげます。フィールドは合気道道場とは限らないみたいです。武道やスポーツをする人、職業武人、力仕事に従事する人、つまり出会うあらゆる人は「ヨーダ」の可能性がある。予断を捨てて、会う人全てを右クリックして確認です。一見しょぼい人も侮るべきではありません。

 

2. 帰納法的に見つかる「チップの欠片的技術」

他の武道の人やら力仕事の人やらが共通して使っている技術は面白いです。例えば「すごくわずかな刺激を入れる」はかなり共通。それと「体を逆に使う」も、最近立て続けに出会う、みんなの共通認識です。逆に使うというのは、下に落としたいなら上に伸びあがる、殴りたいなら踵を使う、相手の攻撃意思の発動は足の裏で感じる、など。やってみて「なるほど本当にそうだな!」と実感できることが、異なる分野間で横断的に共有されていました。とくに「足の裏」のことが最近面白いので最後に記録しておきます。

 

3. 足の裏。なぜか分からないけど。

「理由はともかく、そうである事実」を集めていくのを帰納的と言います。背景の法則にはあえて立ち入らないので楽だし、利己的な妄想予防にもなるので私は好んでいます。

さて足の裏の話です。相手と対峙して攻撃してもらいます。体の動きから判断しては絶対に遅れるので、みなさんはいろんな方法で事前の信号的なものを察知しているでしょう。方法はバラエティに富みます。その中の1つで、私に合っていたのが足の裏です。「足の裏から相手の攻撃意志前の信号を振動で感じるみたいな感じだ」と空手の先生は説明します。その人はまるで予知のように速く動きます。私も真似してみると、足の裏は遠すぎてまだ意識が下ろせませんでした。私が意識できたのは膝どまりです。それでも、よく言われる「相手全体を広くぼんやり見て察知する」よりも、数段やりやすかったのです。膝のイメージが変わりました。私の中で膝は、丈夫さ第一で、単純な作りで、皮膚が厚くて感覚は鈍く、長年の摩擦によってコキタナイ色がついてて、体の中では鈍臭そうなポジションでした。膝にそんな繊細な性格があるとは意外です。「意識の水面」が静まり、なんだか相手と緩く繋がって、よけられるはずがない攻撃をよけやすいのです。だって繋がってるから。どんくさそうな膝で。

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Fig.4 膝「初めましてよろしくな」 足の裏「ワシにはまだ気づいてないようだ…」

 

このやり方自体は人によって向き不向きがあると思いますが、「方法を変えると、こんなにやりやすくなることがあるんだな!」と感動したので一例として書きました。うむ みんなすごく努力と工夫をしている。励まされますね。