大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

稽古記録122 (2019/5/27)

2019/5/27 (月) 19:00-20:30  武道場 

                   <まとめ >

1. 「入る繋がる中心で」行為→状態

2. 「合気道的」

 

今までやってきた「入る&繋がる&中心を取る」のシリーズ化の日です。

ペア練習としては、

・ 両手持呼吸法(しっかり入って運ぶタイプ。Fig.1 A,B)

・ 両手持小手返(はじめ、転換後、持ち替え後 とまじめに繋がり直す。C,D)

・ 正面打外転換入身投(転換時点で体幹で繋がる)

・座り呼吸法(米国風天地投のように大きく入って腹で回すタイプ。稽古記録117-3参照)

などを切り取ってやりました。が、デモンストレーションが示すテーマは冒頭のまとめの如くです。

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 Fig.1 シリーズの一部を切り取った、部分としての技の数々

 

1. 動的な連続性

連続(して見える)状態とは、自然界では多くは非連続のサイクルが極限まで細かいことです。ゴムを引っ張って一定長に保つには同じ力を静的に維持し続けているようにマクロでは見えます。しかし引っ張り力のon/off速度がゴムの回復する速度を大きく上回ると、動的で非連続な力であってもゴム長の変化は極限まで小さくなり、結果一定長のままに見えます(Fig.2)。フィルム映画も同じです。

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 Fig.2 要は交流電源で問題ないってことです

 

2. 技の連続性

シリーズで行う技は滑らかに連続して見えます。それぞれ最短にまで洗練された複数のサイクルの複合体とも見えます。先週の「繋がって貰う練習」(稽古記録118参照) では、先生の「入ったり貰ったり」のリズムが呼吸のように見えました。今回はその背景にもっと細かいサイクルがあるようです(Fig.2)。驚くべきことですが、他人の天才を見て絶望する必要はありません。

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 Fig.2 見えるのは合成波だから分かりにくい

 

人間のサイクルにはホルモン分泌のように月単位の物から消化管蠕動運動のように数十秒単位のものまでさまざまです。さらに脳波(~30Hz)、筋電図(~80Hz)くらいの単位です。意識も実は不連続です。意識は肉体と比べて高度で精密なシステムと捉えらえがちですが、結構おおざっぱというのが私の印象です。視覚認識の意識が~50Hzといっても、認識にはなんだかんだで0.2秒くらいかかっているように思います。非連続性の連続に量子論など持ち出さなくてもいいのです。意識的な訓練は、数秒単位で「入る、繋がる、中心を取る…」と気を付けることは最低限できます。スポーツや楽器の練習と一緒です。達人の域を論じるのはその後の話です。日常でできることを洗い出して、無骨にやることはやっておきましょう。

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 Fig.4 A:体は速い B:意識は遅い(無意識は速いが)

 

 3. 繋がる≒中心を取る

先生方の技のシリーズを見て、この2項目は同じことかもしれないなと思いました。正確には同じではないですが、今までの私の練習には「まず繋がって、それから中心を取ってみよう」という順序があったのですが、これらは同時発生的であるという意味です。技がいくつかあって、その間につなぎがあるものではありません。先生は「全体をよく観察して」と仰いますが、どこかでつながっているからこそ全体の様子が分かり、相手の自由になる拳や蹴りを察することができるのではないかと思います。一部に侵入したらネットワーク全体の情報を抽出できるウイルスみたいなものだと想定すると、中心を取ると全体が見えるようでなければ、それは中心をとったことにはならないのでしょう。ちゃんとしてるつもりでもうっかり反撃を食らったら考え時です。

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 Fig.5 部分=全体。ホログラフィ/フラクタル感つながり情報抽出中

 

 4. 合気道的とは

4-1. シリーズ技を見る面白さ

シリーズ技では受がとても大切です。物だと床に落としてパタパタたたんでしまえばおしまいですが、生体は蓄電器のように反発力を内蔵しているため、取との関係を常に更新していきます。じっとして膠着するということがありません。敵の動きを全て封じてしまうZ. Sabre. Jr.とは違い(プロレスラーはホモサピエンスの完成形なので、揶揄しているわけはない)、来させて取って技につなげる形です。私はこれがいわゆる合気道的と言えるかもしれないと思いました。

 

4-2. ただの暴力の場合

 少し前に暴力沙汰があったとき、私は小柄なのですぐ組み敷かれるのですがそれでも抵抗を続けたところ、相手の自称武道家がどうも後手後手に回っているらしいことに気づきました。下半身の固めが甘いと私が蹴るのでそれを押さえ、すると他が手薄になり私が暴れるというモグラ叩きです。筋量がはるかに少ない相手でも全力で抵抗されるとこのように、離すに離せないいわゆる膠着状態になります。通常、抵抗しないだろうと舐めていた相手から反撃をされると怒りの他に焦りと不安が生じます。すると腰がひけ、余計に締め方が不安定になります。確かに力は強いが此奴のは全く武道ではありません。口に血の味がしたとき ふと( 私の先生ならば ) と思いました。私が動く前に私を動かなくできる。合気道の先生方は当然、私くらいがどんなに暴れても怪我ひとつさせずに私を制圧できる筈です。半笑いで片手でやるでしょう。この時は第三者に引っぺがされて終わりましたがその後、かっこ悪いただの暴力と 合気道との違いはなんだろうかと考えました。

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Fig.6 暴力に屈したり黙認するのはあなたが暴力をふるっているのと同じ (だがオンナコドモは別)。

 

4-3. 合気道の特徴

①相手の力を利用する ②先手を取る(±③試合がない )くらいがよく聞きます。しかしどうやって①②を実現しているかにはコンセンサスがありません。また、合気道家の先生方が私のようなアバレモノを取り押さえるとき具体的にどうするかをいろいろ想像しましたが、結局は結構暴力的なものに行きついてしまいます。かといって私を実際に取り押さえてもらうことはできないし、第一先生方に対して私が好戦的になるわけがありません。確かめる術はないな、自分は合気道を贔屓目に見すぎているのかな、と諦めかけていた時でした。今日の稽古風景を見て「これだ。」と思いました。合気道と暴力の違いです。

合気道は「①相手の力を利用する」と 「②先手を取る」 ことで相手を戦意喪失させ、制圧もできます。言い古された①②が確かに特徴なのです。そして①②を実現する原動機が、暴力とは真逆の「合気道的」なるものだと言えましょう。ただし、原動機は真逆とはいえ 表現形としての合気道はかなり過激で、暴力的と紙一重にさえ見えます。「え?いま切っちゃった⁈」とヒヤリとするほどです。逆に言えば、技の過激さだけみて「あんな力づくなのは合気道的ではない」と言うのは早計ということでしょう。私はよく言ってましたが。反省です。

 

 

※ 注 セキュリティ一般について: 自分より強い、もしくは武器を携行しているかもしれない相手に襲われた時は一切抵抗しないのが鉄則です。金品強奪や致死的でない暴行ならさせておき、とにかく生き残って後で復讐しましょう。私は怒りをコントロールできず鉄則を忘れたため、自損を含む無駄な怪我でしばらく稽古に支障をきたしました。馬鹿馬鹿しいことです。今後はしません。