大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

わりと元気な人は検査を受けない方がよいことがある

1. 検査をうけたいのに、断られることがありますよね

臨床検査はその目的と病気の性質によって使い方がちがいます。感染症では多くの場合、「とてもその感染症にかかっているっぽい人だけに、その診断検査を実施する」のは一般的なことです。コストやオペレーションという実際的な理由は状況によってピンキリなので分かりませんが、すくなくとも数学的な理由は普遍的ですから基本を描きます。

 2. 検査の性質をあらわす「感度」と「特異度」

f:id:fanon36:20200308144359p:plain Fig.1

■ 感度(Fig.1 右図)

ある感染症にかかっている人がその検査をうけて、ちゃんと検査が陽性という結果が出るとき、「その検査は感度が高い。」と言います。感染症にかかっているのに、ちょいちょい検査結果が陰性と出てしまうとき、「その検査は感度が低い」と言います。感度が悪い検査では、本当の患者を見落としてしまいがちです。

 

■ 特異度(Fig.1左図)

感染症にかかっていない人がその検査を受けると、ちゃんと結果陰性とでるとき、「その検査は特異度が高い。」と言います。ぎゃくに、ちょいちょい陽性とでてしまうとき、「特異度が低い。」といいます。

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Fig.2 検査をデザインするとき感度を上げると特異度が下がる、という関係がある。

 

3. 検査Aはデキがいい検査だろうか?

f:id:fanon36:20200308145036p:plainFig.3

ある検査Aの感度は70%、特異度は99%とします。「感度はちょっと低いが、7割がた『当たる』なら悪くないんじゃない?」という印象を持ちます。しかしこの検査Aが有用かどうかは、「その集団の中に病人がどれくらい多いのか(有病率)」によって変わるのです。感覚的によくわかりませんから、数で見てみましょう(Fig.4)。集団Aでは病気が流行っていて10%の人が病気です(左図)。集団Bでは比較的流行っていなくて、0.1%の人が病気です(右図)。すると集団Aにおいて、検査Aが陽性と出たとき、その人が本当に病気である確率は90%くらい。まず病人として扱ってよさそうです。ところが集団Bにおいては、同じ検査Aが陽性とでても、その人が本当に病人である確率は7%程度。検査陽性でも実は病気ではない可能性の方が高いです。言い換えると、検査結果陽性の人10人のうち、本当の病人は1人いるかいないかです。

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 Fig.4 検査対象者を絞ることの意味

 

4.臨床検査のデキの良さは検査対象によって変わる。

このように、検査実施数に対して病気の人が大変少ない場合、その検査は使い物になりません。有病率が高いほど、その検査は信頼性が上がります。じっさいの現場では病気の人が一体何人いるのか分からないのが普通なので、「有病率」のかわりに「検査前確率」という概念を使います。病気である確率がより高そうな人達を選んで、その集団に検査を実施するのです。逆に、病気っぽくない人にもどんどん検査しまくると(検査前確率が下がる)、検査の精度は落ち、検査の意味があまりなくなります。あまりその病気が疑わしくない人に検査を実施しないのはこういう理由もあります。

 

 

5. ケースバイケース

最初に言ったように、目的によっては臨床検査を無差別に行うこともありますよ(スクリーニング検査)。例えば妊婦健診のHIV検査です。HIVのスクリーニング検査は感度がとびきり高い優秀な検査ですが、妊婦におけるHIVの有病率が極めて低いがゆえに偽陽性の人がたくさんでてしまいます。偽陽性と言われた人達は、確認検査で「ほんとは陰性でした」と証明されるまでショックや心配でストレスをうけるので気の毒です。しかしこの検査の目的は、何万人に1人であっても未知のHIV陽性者を確実に見つけ出し、赤ん坊への感染を防ぐ処置を施すことです。これは偽陽性問題や資源の負担などのネガティブな問題も凌駕する価値があると思われます。このように重大な結果を伴う特殊な目的がある場合は、一見非効率な検査を行うこともあります。ケースバイケースということです。

 

6.一見、無慈悲に見える疫学的アプローチ 実はみんなの味方。

疫学的なアプローチは「集団の安全を高めることによって個人の安全を高める」ので結果的には個人個人の得になります。しかし短期的・部分的には「個人の利益」と「集団の利益」が相反するように見えることも多いため、個人は被害者意識を持ちがちです。人類の歴史においては、道徳や宗教による行動規範によって集団をコントロールしていたのか、集団がせいぜい100人程度までだったせいか、人間には大規模集団における疫学的アプローチを直感的に理解する機能が組み込まれていないようです。だからこそ知識と理性が武器になります。勉強しようぜ!

 

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 終

 

 

 

 

 

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