大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

稽古記録200

2019/10/16 (水) 18:30-20:45 京都市

                   <まとめ >

 1. 姿勢だけで崩す

 2. 「和合」のパラドックス:もうそういうの、やめちゃおう

 

今日は、落ち着いて姿勢をじっくりできてよかったなー。あと、今年よく思ったこと(和合和合言う人に限って排他的な気がするぞ…?)についてです。

 1. 姿勢と重心だけで崩す練習

相手の前腕に手を乗せ、足を動かさずにその場で姿勢を正します。背筋をのばしたり、骨盤を真正面に整えたり、チェック項目をひとつづつ治していきます(Fig.1 A)。ひたすら姿勢を正すだけで、受の体勢がどう変わっていくか分かります。また、受ける側としても相手が姿勢を整えると重さが全然変わってくるのが分かります。受け手が崩れたら手の圧を変えないまま摺り足を進めて畳に落とします(B)。

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Fig.1 受け手はほどよい力で抵抗する。「腰、背中、まっすぐ…」

 

  

2. 和合のパラドックス

2-1. Tric"key"word; Wago (和合)

合気道では「和合」という言葉がキーワード的に多用されます。良い言葉、みたいな位置付けですが、けっこうトリッキーな概念だと私は思います。

 

 2-2. 内在する矛盾

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    Fig.2 粒餡原理主義者

考え方や属性が同じ人や好ましい人と仲良くやるのは当たり前で、それを和合と呼ぶのは大げさです。本格的な「和合」の概念が出てくるのは対立的な相手に対してでしょう。和合するなら、まず自分の信念を捨てて相手を受け入れる必要があります。どんなに受け入れがたい信念を持った許せない相手でも。だから「和合というアイデア」は美しく心地よいですが、「和合の実行」は痛みを伴います。

極端な例でいうと、和合不要論者と和合するには、まず自分の「和合最高」という信念を捨てることになります。和合のために、和合を捨てる というパラドックス。「和合って大事!」と思ってる人ほど、和合できないというパラドックス。

 

2-3. よくある誤用

和合の概念は、上記の矛盾を乗り越える論理的強度(覚悟)が弱いまま使うと、容易に誤用します。というかほとんどが誤用です。

例えばこんな誤用です;

  • 「相手を説得して "素晴らしい和合の概念" を理解させる」のは、和合でなく「同化政策」です(Fig.2 C)。
  • 和合に同意しない者は排除、というのは和合ではなく「分離・追放」です(D)。
  • それが集団単位になると「Ethnic cleansing (民族浄化)」といいます。

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Fig.2 「和合」の誤用 B: 隷属 C: 同化政策 D: 追放・民族浄化

 

2-4. 最も和合できそうな人

自分の信念を捨てて相手を受け入れた場合、もしかすると相手は気を良くして、そのうちこちらを受け入れてくれるかもしれません。が、あくまで選択権は彼にあり、運次第です。戦略的にそれを期待するのは和合でなく「迎合・隷従」です(Fig.2 B)。よって本当に和合しうる唯一の人は「純粋に和合の概念を放棄できる人」だけ。しかも棄教してさえ成功率は運次第。という割りに合わないのが「和合の実行」の実態です。

 

2-5. 和合のパラドックスの解決

このように「和合の実行」はハイリスク・ローリターン。おまけに有害な誤用の頻発。自分が損するばかり。「和合」なんかダメダメ。使いこなせない「和合」なら無い方がまし。もう捨てちゃおうよ!

…でもじつは前記「和合のために和合を捨てる」という文章、前者は「概念」後者は「行為」で全く別物。同じ字面だから混乱するだけで、本当のところパラドックスなど存在しません。「和合」という概念で遊んだり「和合和合」と口に出すから、存在しない問題が幻出します。黙って ただ行えばよいのです。

 

というわけで「和合」という言葉を使う人には要注意。(一番使ってるのは私か)

 

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