019/9/4 (水)
1. 武器8回目:短刀取、杖型の一部、剣納刀
今回のメインは短刀取りです。そうか短刀も武器に入るのか。これは複雑ですぞ。
<武器の練習シリーズ リンク>
- 1回「剣の礼 剣と杖の取り扱い基本」(稽古記録119)
- 1.5回「座礼 抜刀納刀 杖の打ち方」(稽古記録126)
- 2回「剣の正面切り・斜め切り、杖の突き左右・前受身」(稽古記録130)
- 3回「剣の運足・斜め切り組、杖の正面打・前受身」(稽古記録143)
- 4回「礼儀、剣の切返し、短棒四方投」(稽古記録154)
- 5回「正面切と斜切の前後、杖の型中段上段突きの受」(稽古記録162)
- 6回「剣の歩き抜刀納刀、swing-by, 四方投げ、杖組続き」(稽古記録167)
- 7回「剣の抜刀納刀と四方投げの復習、杖型の一部」(稽古記録177)
- (過去の武器関係記事一覧は最後にあります)
< 短刀取 >
1. 「短刀取り」の微妙な立ち位置
昇段試験の科目にも入っている短刀取りですが、その目的をあまり深く考えたことがありませんでした。型通りの短刀取りは押さえ込み系の技を大きめに行うもの、というイメージがありますが、それだけならわざわざ別項目として練習する必要はありません。一体なにが目的なのでしょうか。まず状況設定が不明瞭なのが、混乱の原因の1つでしょう。そこで恒例のイマジネーションタイムです。
2. 短刀取りの状況はあまりに限定的
型では胸元を突いてこられるのを想定していますが、ナイフ攻撃は刺すより切るものです。殴るのと同じような攻撃を想定している時点で敵はナイフに不慣れな素人に限られます。
3. 短刀取りはサバイバルに役立つか?
もしあなたが刃物を持った狼藉者を見かけたら、距離があれば逃げる。無理なら、手近な物で防御しながら、またはそれを敵に投げつけてその隙に逃げる。追い詰められて逃げられなければ、大声を出す。対抗するならリーチの長い脚で攻撃するか、相手の脚を蹴りで止める。しかし合気道では大声の出し方や蹴りは練習しません。
型では刃を固定したり取り上げる際に、刃物の背を手に取る動作が含まれますが、敵が刃を上下どちらに握っているかで動作を変えなければならないのは非現実的であるし、諸刃のナイフならそもそも刃の背はありません(Fig.1) 。素手を刃に近づけてはならないのです。とすると、合気道の短刀取りは、もともと実践的なサバイバルを目的としていないのではないでしょうか。
Fig.1 本気の敵は諸刃のダガ―ナイフで来ると想定すべき。
4. 短刀取りは平常心の涵養に役立つか?
サバイバルが目的でないなら、合気道の短刀取りは、刃物を目にしてもいつも通りに動ける平常心を鍛えるためでしょうか?そのためにには本物の刃物を使わなければなりませんが、危なすぎます。そしてたとえ本物の刃物を使ったとしても、練習で平常心は養えません。なぜならば私はこういうことがあったからです。以前私が働いていた軍事独裁国家においては公務員イコール軍人なので皆銃を携帯しています。私は事務的なやり取りの時ですら彼らの銃の迫力に立ちすくむような感じでした。私は撃たれた経験がないのに、なぜこんなに怖いのかな?と何年も不思議でした。今日気づいたのですが、あの抵抗できない恐怖心は銃そのものに対してではなく、「装填された銃を携えているのが、実際にそれを使用してきた実績とメンタルを備えた人々である」という状況に対してです。だからたとえ日頃道場でおたがいに実物のナイフをつかって稽古しても、ある日刺す気満々の異常者がナイフを手にして現れたら私は絶対に体が動かないと確信します。異常な状況は稽古では再現できないので、平常心の練習は無力です。
5. 短刀取りの稽古の目的
合気道の短刀取り稽古は実戦的ではなく、精神修養にも使えない。では無意味化というと、そうではないと思います。それは日ごろ忘れがちな「残心」と「繋がり続けること」を意識させる作用があるからです。
5-1. 目的①残心の重要性を再確認
普段の稽古で残心を取っているでしょうか。私は技に一生懸命になって忘れることが多いです。相手が武器を持っていると、腕だけの押さえ込みがいかに危ないか気づきます。手首の返る範囲は案外広いし、せっかく腕を押さえても逆の手が自由だとナイフを持ち替えられてしまいます(Fig.2)。体幹を崩さなければどうしようもないな、と分かります。また、受の立場としても、取に武器を取られたならいつまでも畳に転がっている場合ではありません。刺されてしまいます。取に目付をしながらすぐ構えを整える、「受の残心」の必要性が実感されます。こういう稽古の基本が思い出されるのが、短刀取りの良いところだと思います。
Fig.2 予定調和でかかってくれない相手と。手首を返す・わざと落として持ち替える・制されてない手で持ち替える
5-2. 目的② 繋がり続けること
残心と同じことですが、とくに気持ちの面で繋がりを意識するようになります。「まずい。刃物を持ったやばいヤツがいるが間合いが近すぎて逃げるには遅い」と分かった時点から繋がりスタートです(Fig.3 A)。合気道では「逃げられるなら逃げるが最善」ですから、短刀取りに限らず合気道の技が始まるときはすべからくこの状況です。普段忘れている緊張感ですね。その後、技やらなんやらすったもんだして(B)、無事ナイフを奪って「やれやれ、おしまい」…ではありません。これよくやってしまいます。投げられた受が飛び起きたら、取はもう背中を向けていて隙だらけ。ナイフを奪われた受は必死ですから攻撃してきますよ(C)。徒手の稽古でも本来、技は連続して続く前提です。相撲の立ち合いのように、お互いの「ここまでね。」という目配せによって、はじめて意識の繋がりを切るはずなのです。「普段は、一回一回細切れの確認作業というか、永遠のリハーサルのような練習に堕していたなあ…。」と反省させてくれるのも、短刀取りの良いところ。
Fig.3 上:理想的な「意識の繋がり」グラフ 下:現実
< 杖 >
前回の続きです。前回は (1) 左前中段突、(2)上段受、(3)持ち替え、(4)右横面打、(5)後ろ突き、(6)下段返し、(7)左前構え、でした。今回は、はじめに正面打ちを加え、最後の下段返しの後に八相返しを付け加えました。八相返しはややこしいですが、よくできた返し方に思えます。下段返しが終わったときの体勢は、自由度が低い恰好です。ガラ空きの上半身が攻撃されても、逆手持ちしている杖は撥ね上げにくいです(Fig.4A)。そこで一歩出ながらの八相返しは杖の先がほとんど直線的に最短距離で正面上方に突き出せます(A,Bの⇒◯)。
Fig.4 手は複雑っぽい動きをするが、作用点はシンプル&ストレートな動き
< 剣 >
納刀の、袴で刀身を拭いちゃうスタイルをやりました。実際こうでしょうね。人切ったら。振り払うだけでは血は取れそうにないです。しかし袴より剣のほうが大事とはいえ袴も洗いにくいのだから、実際はタオルを腰に挟んでたんじゃないかなと思います。「トイレで手を洗ったあとズボンで拭いちゃう」的なわんぱく動作が、何かのかげんで型として真面目に残ってしまっているのが面白い。
Fig.5 真剣を使ってる人達は皆、なんらかの傷痕を持っている。