2019/8/5 (月) 野外道場
1. つぎの足場だけ見ることで、まず一歩進もうよ
マヨったときは原点回帰。野外道場に1人で戻る。
Fig.1 「誰も来るな。死ぬぞ…。」(熱中症で。)
1. とにかくそこから一歩踏み出す
合気道って上達しないものですね。やればやるほど何も変わらないように思えるのは、ゴールが遠すぎるからかもしれません。遠すぎる目標は人を蹲らせる。そんなときは一旦、初心に戻りましょう。
いま立っている場所をゼロ地点として、最終目的地が三千歩とします。大まかには最終目的地に視線をやれば、ふらつかずにまっすぐそこへ行けます。手元足元は見るもんじゃないです。バイクで細い橋を渡るときも、ハンドルや前輪のちょっと先を見ちゃうとブレて落ちますね(Fig.2)。
Fig.2 二輪の試験にこういうのあった
しかし今回は足元に注目します。1歩目をどこに置くか。無為自然に歩き出せる人はもちろんそれが一番です。そうではなく、ゼロ地点に居着いちゃって動けない凡人は、あえて流れも結びもぶった切って、一歩目を考えますよ。
Fig.3 「ゴールを見るな!とにかくはじめの一歩をここに置け!」
2. 三千歩その1. 「接触点に囚われず、相手の中心を。」
この場合、ゼロ地点は「持ってる手を見ちゃう」(Fig.4 A)です。最終目標である三千歩地点は、相手の中心をとらえた滑らか技です(C)。とりあえずゼロ地点から動くための一歩目は何でしょうか(B)。手に近い、手でない部分。そこに視線を移すだけでも、手に囚われた意識は分散してくれそうです。
Fig.4 踏み出すべき一歩目を設定する。
<例1:一教押さえ込み>
この場合、相手の手首をとらえた右手や、肘を制している左手を見ているのはゼロ地点です(Fig.5 左図)。一歩目となる相手の部分は、対側の肩でしょうか。(もっと近いのは頚椎胸椎接続部ですが、なんか顔面から落ちると危ないから却下。) 対側の肩を観察しながら、それが落ちる方向へ体を調整しているとき、手のことを忘れていると思います(右図)。合気道では「観の目」という全体をとらえる見方を求められるので、肩であれ相手の一部分をガン見するのは正しくはないのですが、いつまでもゼロ地点から動けないよりはマシです。まず手から意識を引っぺがして、肩あたり、それができれば骨盤、対側の脚、そして重心はどこかしら…と意識を全身に広げていくことができます(と思われます)。
Fig.5 右図程度の視線移動であれば顔の位置はほとんどそのままで、すぐできる。
<例2:座り呼吸法>
ゼロ地点が「手首を見て、手で何とかしようとしている」(Fig.6 左図)。三千歩目は相手の体が浮いて軽く倒せることでしょうが それは置いておいて、一歩目はどこら辺でしょう。これも手首から意識を外すように、肩を見ると良いかもしれません。相手の肩が詰まって脇が開くかな?としていると、手首のガチガチがましになります(右図)。
Fig.6 左図=ゼロ地点(誰?) 右図=一歩目
このように、「妥協の一歩」を探っていくのが今日のテーマです。妥協である限り、ゴールの形では絶対ないです。そこをまあ受け入れて。合気道以外の現実世界では ほとんどがそうじゃないですか?治療にしても、よく「最もいいのはどれか?」なんてことを聞くけど、実際は「どれが最もマシか?」で選ぶものです。治療なんかせずに済むならしないのが一番に決まってるんだから。(言っちゃった。) より良きものを、という選び方をすると何を選んでも苦しむのよ。
3. 三千歩その2. 中心帰納
意識の操作(=とりもなおさず身体操作)習得法の白眉ですが、プロトコール化されていると言っても遠い遠い道のりであります。この場合のゼロ地点は、「意識の座を外部条件に振り回されっぱなし」というところ(Fig.7 左図)。三千歩は、「呼吸するように常に意識を出し入れし、自分がコントロールしている」という感じですかね。一歩目は、ざっくりと体の中という意味で「背筋を曲げないように意識する」とかはどうでしょうか。中心帰納でいう中心よりはかなり粗雑ですが、少なくとも頭よりは下に意識が落ちます(右図)。丹田とかがいいのでしょうが、丹田て意識できますか?内臓感覚は曖昧すぎて私はすぐ集中が途切れます。それに比べて背骨はいかにも、そこにある。痛いし。体内の深部にある臓器にしては意識しやすいところです。
Fig.7 左図=ゼロ地点。相手の出方や相手の力に対応するのに精いっぱいで、我を失っている。 右図=一歩目。自分を整えることを、時々思い出す。
4. 姿勢
良い姿勢ってなんでしょう。1人で立っているときの良い姿勢はまあまあ分かります。しかし「相手がどう来てもこちらがいい姿勢でいれば自然な対処がそのまま技である」というのが、いわば三千歩です。究極の良い姿勢です。ふらりとしているのに「あやつ隙が無い!」とか言われる剣の達人みたいな。いきなりこれを目指すから、凡人は挫折するのです。姿勢も、まず一歩目を探しましょう (Fig.8)。
Fig.8 左図=ゼロ地点 右図=一歩目。もはやこうなっては何が何か分かりません。
一歩目は、人によって違います。ある人が、その人にとっての一歩目を一生懸命やっているとき、それは三千歩目と違う形であって当然ですね。三千歩目はある程度共通イメージがありますが、一歩目は本当にバラバラなはずです。孤独に自分だけの一歩目、頑張りましょう。