大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

稽古記録166<上半期まとめ④>(2019/7/11)

2019/7/28 (日)

        <上半期まとめ その4>

1. 胸を開いて全身を一体にする

2. 裏テーマ:「骨の道」を考慮に入れる?

 

<上半期まとめシリーズのリンク>

 

 なぜ胸を開く?

まとめ最終回は、習った内容ではなく私が勝手に考察したフンワリしたやつです。

 4-1. 胸が開いた状態の一般的イメージ

胸を開くと体幹の力が通じてやりやすくなります。なぜでしょうか。まず「胸を開く」状態をイメージします。

機嫌よくブラブラ散歩している人は、胸郭を形成するどの骨も固まらず呼吸とともに協調運動しています(Fig.1 A)。肩はストンと落ちています。彼は胸が開いているらしいですね。物を真上に持ち上げるように胸を思い切り張っている人はどうでしょう(B)。胸郭は広がっています。しかし肩甲骨は固定されており、合気道的には都合の悪い胸の開き方です。固い蓋を開ける人(C)は肩に力が入って胸郭が縮こまっています。

f:id:fanon36:20190726125229p:plain

 Fig.1 ぱっと見て、だれが胸が開いているかな。画力が足りないのはすみません。

 

ここから推測すると、胸郭のサイズより、肩甲骨が固定されているか否かが合気道には大切です。と、思っちゃいますよね一見。でも、どうやら違ったみたいです…(4-4へ)。

 

4-2. 胸を開くことで期待される効果

ところで、上記の散歩者みたいに胸が開くと、合気道的にいいことがあります。まず力を出すのが楽になります。次に腕がこわばらないので感覚が鋭くなるし、相手に緊張感を与えずにすみます。体幹および地面の力が上肢末端まで伝わるからだろうと思われます。などを体で実感しています。これらは体幹(と地面)の力が手の先まで伝わるからだろうと思われます。では何故胸を開くと伝わるのでしょうか。胸を開く状態とそうでない状態とで、体が変化した部分を探してみました。

 

4-3. 胸を開く時 体で起こっていること

私は以前、胸を開くには肩甲骨をフリーにするんだな、と考えていました。先生や先輩方を観察して、目立つ身体的特徴がそれだったからです。しかし、まとめ1(稽古記録163)で述べたように、肩甲骨が自由に動くのは胸を開く原因ではなく結果です。もちろん「肩甲骨を緩めよう。」と意識することは胸開き効果をもたらすので実践的にはそう考えても問題ないですが、メカニズムという観点からは本末転倒でした。では肩甲骨の上流にはなにがあるのでしょうか。骨格はほかのシステムとちょっと違う臓器なので、次項で簡単に見直します。

 

4-4. 骨を力が伝わる経路

体幹とは脊椎です。脊椎から手に至るルートは、①脊椎→②肋骨→③胸骨→④鎖骨→⑤肩甲骨→⑥上腕骨 です(Fig.2上左)。展開図にするとFig.2 上右図です。つまり上肢は肩で体幹に繋がってるイメージがありますが、じつは鎖骨によって体幹とつながっています。一方、肩甲骨はほとんど最末端です。つまり体幹の力を腕に伝えるのは鎖骨であり、一見目立つ肩甲骨の動きとは鎖骨が動く結果でした。

f:id:fanon36:20190727161338p:plain

 f:id:fanon36:20190727161735p:plain

 Fig.2 ①脊椎 ②肋骨 ③胸骨 ④鎖骨 ⑤肩甲骨 ⑥上腕骨

 

次に上の骨を元どおり組み立ててます(Fig.3 A)。上から見ると、骨を力が伝わる経路は螺旋型であるのが分かります(B 矢印a)。だから何だというわけでもないのですが、神経や筋肉や血管など ほかのメインシステムの伝導経路が放射状なので、つい骨(力)の経路もそうだと勘違いしやすいのではないでしょうか(矢印b)。私は最近まで、そうでした。このイメージギャップも、体幹の力が使いにくい原因だったかもしれません。

f:id:fanon36:20190727234706p:plain f:id:fanon36:20190727234144p:plain

 Fig.3 番号内容はFig.1と同じ。B:a=力の流れはいびつな螺旋 b=間違った 体幹から上肢への力の伝わり方のイメージ

 

4-5. 胸開き=鎖骨スイッチを入れて体幹とつながる

冒頭の、胸を開く人達のイメージ図に戻りましょう(Fig.4)。人物B.Cは鎖骨が引っ張られるか押し込まれるかして、固定されてしまっています。要は、単純化しすぎではありますが、「胸を開く」とは「鎖骨のロックを外すことで、体幹と上肢が繋がった状態」だとも言えそうだと思うのです。

f:id:fanon36:20190726125358p:plain

 Fig.4 同じ絵に鎖骨を描きいれた

 

4-6. スイッチ入れ方 色々

鎖骨をフリーにする感覚がよく分からない人はこう考えてみてください。「腕とは上腕以遠(Fig.5 B)ではなく、鎖骨から先(A) を言う」と。本当の上腕骨は鎖骨で、世に言う上腕骨は"中腕骨"だ!くらいの妄想めいたイメージです。

f:id:fanon36:20190728000750p:plain

 Fig.5 Aの範囲を腕だとする。胸を開く状態においては、腕をあげるときは胸鎖関節からあげる。


さっそく昨日、大柄な先輩と実験しました。両手取呼吸法で、わざと鎖骨を固定して、そのほかはできるだけいつも通りにしてみると、まったく技がかかりませんでした。先輩は「腰が全然入ってないみたい」言いました。次に「腕は胸骨から直接生えてる」イメージで鎖骨をフリーにすると「あ、腰が入った。」と言ってくれました。腰の使い方はどちらも同じだったので、鎖骨は「体幹と腕を繋いだり分離させたりするスイッチみたいだな」と思いました(Fig.6)。

f:id:fanon36:20190730111940p:plain

  Fig.6  A: 胸鎖関節は力を下流に流すか否かを決める水門  B: 水門閉鎖中 C: 開放中

 

鎖骨をフリーにするほかのイメージ法として、以前に私が考えた「関節裂隙を開く」(稽古記録158)も悪くはないです。私は数年前から、いわゆる「折れない手」とか「物を取りに行く手」をどういう状態なのか考えていました。伸筋の関与、神経パルスのちょっと早い分極…、などたくさん考えましたがピンときませんでした。最近、「全身の関節裂隙を開く」はなかなか上手くいくことが判明しました。関節腔を測定しても矛盾はありません。ただし、やはりそれは原因ではなく結果のひとつとしての現象であろうこと、普通の人には案外イメージしにくいらしいことからお蔵入りしていました。今考えると、全身の関節裂隙を緩めようと随意的にコントロールできる関節で最も中枢側は胸鎖関節です。この点からも、やっぱり鎖骨をフリーにするのがわりとポイントかも…

と、まあ 人は自分にとって都合のいい情報ばかりに目が行きますから、こうやって持論を正当化するなんちゃってには事欠かなくで当然でした(「認知の確証バイアス」と言う)。矛盾しないという程度をいくら列挙したところで、信憑性は増さない上に恥ずかしくなってきたのでこのへんで。

 

4-7. 鎖骨がんばる

体幹と末梢がいつも繋がっていたらいいのに、鎖骨のスイッチは合気道的には面倒ですね。なんでこんなものがあるのでしょうか。ここは合気道にはあまり関係無いので解剖に興味のない人は飛ばしてください。

f:id:fanon36:20190728212740p:plain

 Fig.7 A:みんな大好き 犬属。上腕が付着する肩甲骨が胸郭からゆらゆら浮いている。B:右上肢の衝撃が体幹(胸骨・肋骨・脊椎)にダメージを与える C:上肢の衝撃が上肢・肩関節または鎖骨を破壊し、体幹は無事

 

人体に無駄はほとんどありませんから、鎖骨スイッチが切れる、つまり体幹と上肢が分離(力学的な繋がりが弱まる)することにも意義があるはずです。前述のように犬は鎖骨が退化し、体幹と前脚とは骨的に完全に分離しています(Fig.7 A)。前脚を前後運動に特化したのでしょうが、同時に高速走行時の着地の衝撃を背骨に伝えないためだと推測されます。人間でも、鎖骨スイッチを切ることで前肢に加わった衝撃が大切な体幹(骨的に胸骨より中枢、とりわけ脊椎)に伝わるのを防ぐことができます。大事な割に鎖骨が骨折しやすかったり、肩関節が脱臼しやすかったりするのは、そういうわけかもしれません。武道する皆さんにもこれらの怪我をした人がいるでしょう。そんな時は「鎖骨が身を呈して背骨を守ってくれたのだな」と思って、お大事に。

 

4-8. 安全なら安全弁はいらない

このように、鎖骨が差し迫った危機におけるトカゲの尻尾的機能があるとすると、人が緊張したり警戒したりすると無意識に肩が力むのもうなづけます。鎖骨スイッチを切ることは、致命的状況において腕を犠牲にすることで体幹を守り生命維持を図るという防御反射だということです。私たちは「安全である」と感じられれば、リラックスして肩の力が抜けますね。四肢と体を一体化して背骨を無防備に晒せます。ですからイメージ法を使ってリラックスするのはこの反射をコントロールする手段の1つでしょう。先生は「胸を開くのはココロを開くような気分で。」と説明されますが、ここで長々と書いてきた内容をすっとばして不特定多数に動作を実行させるには、結局この一言で済むのでしょう。

この反射が有利に働くほど過酷な環境を生き抜いてきた我々の先祖を想うと、道場で自分がすぐ肩に力が入ってしまう時も比較的心穏やかにおれます。人類が滅びていたら、合気道も生まれなかったんだから。初心者ががすぐガチガチになってしまっても叱らずに、(ヨシヨシこいつもまだサバンナ仕様なのだな。)と優しくリラックスさせてあげようと思います。

 

4-9. 骨はだいじ

私は今まで骨をちょっと蔑ろにしていたようです。神経や筋肉にばかり注目していました。骨は筋肉が付着するための足場にすぎないような。実際は、私達が体を動かすとき、骨を動かしている。伸筋も屈筋も、これらをコントロールする神経も、結局は骨を動かすためです。そして相手を動かすとは、相手の骨格を動かすことです。なに当たり前のこと言ってんの?と思われるでしょう。でも私は案外、つい最近まで念頭になかったです。膝と肘ばかり大事にしていたけど、骨格 大事にしよう…。

 

 4-10. あとがき:階段が違うだけ 目指すゴールは多分一緒

最後に、応援タイムです。合気道を分析することをタブー視する派(?)に私たちはよく怒られちゃいますね。一度は言われたことがあるでしょう。「頭で考えるからいつまでも下手なのだ」とか「先生方の教えを勝手に矮小化している」とか「傲慢だ」とか。これらの批判は結構正しい気もするし、異なる思想を尊重してこそ思想の自由なのだから、ディスられても叩かれてもその場は頑張ってこらえましょうね。しかし若い人は委縮してはなりませんよ。

科学はなにも説明しないし答えを与えません。事象に終わりはないから、それらを目的とする限り100%敗北です。科学とは「新たな問い」を見つけ続ける学問なのです。

問うためには、一旦対象を客観視する必要があります。たしかに動物として自然と一体化していた時代は受容と協調に満ちていたでしょう。しかしそこに問いは生まれない。人が自然から乖離したことは一面的に非難されがちですが、そのおかげで弱い私達が生き残ったではないですか。私たちは頭で考えることに罪悪感や劣等感を持たなくてよい。左脳vs右脳、科学vs心霊などの俗信は実際は存在しない呪いです。私たちが生来に持つ不完全さと罪悪感を押し付けられた身代わり羊です。無意識リミッターを解除して、自由に、際限なく考え続けてください。人間程度がいくら解明したところで自然は正体を表さないし その神秘が褪せることはありません(というか、むしろ増す)。ご利益を与えるから神なのではありません。無限の謎こそ恩寵です。振り向かず間違いを恐れず孤独を楽しみ、下半期も元気にやっていきましょう。(当稽古会も参加者募集中よろしく)

 

 

ちなみに目指すゴールは今もコレ。私の中では矛盾しないです(平井先生の書は白心館のホームページから転載させていただきましたhttps://hakushinkan.jp/

 

        f:id:fanon36:20190712172311p:plain

 La práctica de hoy fue genial. Experimenté el eje, centro y entrando. Mis amigos son maravillosos. Abre el cofre. Pero no uses los músculos de los hombros. Ese es el abdomen. Ese es el intestino. Así que mi estómago es grande. Y mis hombros bajaron fácilmente y mi pecho se abrió. Se produce una condición inspiratoria pasiva. Por eso se llama "respirar.