大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

稽古記録158 (2019/7/8)

2019/7/8(月) 19:00-20:30  武道場 吉田先生

                   <まとめ >

1.  小さく

2. セット

 

面より点の方が、力を軽くコントロールしやすいという日です(Fig.1)。

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 Fig.1 先を指で塞ぐだけ。

 

1.棒の先端を: 交差取前受身

相手が持っている棒の持ち手部分は強いです。先の方なら軽く動かせます(Fig.2)。押したり持ち上げたりしていません。手首を持たれても同じようにしてみます。

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 Fig.2 くりんとする

しっかりと片手を握ってもらいますFig.3 A)。そこから自分の手を上げて相手を浮かせ、前受身させます。棒の先と同じですから、相手をぐりぐりせずにほとんど真上の方向です(B)。そして投げようとしないで下ろします(C)。転換してからでもよいです(D)。

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 Fig.3 点線は不動


2. 力の先を見る:正面打三教

手刀で押し込んでくる相手を外転換で落として、三教します。相手の力はでの進む方向と、肘を曲がる方向です。それを考えると、やりやすい気がします。三教って相手の手首の角度ばかり注意していたけど、それは強引でよくない方向でした(Fig.4矢印γ)。なぜなら全然相手の力と関係のない方向です。相手の力は、そのままにしていれば矢印β1〜nで進められます。常にそれを打ち消す矢印α1〜nであれば、受けたときに無理なく技を掛けられたような気がします。力の先は分かりやすい(β1)ですが、そのずっと先は読みにくい(βn)です。経験が必要だと思います。

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 Fig.4 β方向にサポートしたり、真逆方向に打ち消したりを組み合わせて受を無重力空間に。

 

3. 刃で受ける: 正面打一教

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 Fig.5 A:面で受けると受は強い B:線で受けると受はちょっと弱い

正面打ちを受けるときに振り上げた手刀で流すように受けることを練習してきました。難しいもので、3月末(稽古記録89-2)、4月初め(稽古記録92-3)の段階では受けた腕ごと 頭をかち割られていました。今回は少しましになりました。力の分散問題だけではなかったようです。手刀のクオリティが相手の気を削ぐからです(Fig.5 B)。

無根拠に物事を信じる行為は苦手ですが、「ある。」と知っていれば別に信じなくてもいいってわけです。稽古に足を運ぶことのいいところは、「ある。」がたくさんあることです。知るってすごいな。義姉の知ちゃん、すごい名前だったんですね。


4.結んで落ちる:手刀合わせ落とす

結んだら、あとは落とすも運ぶも自在なので結びましょうという練習です。手刀の手の甲を合わせてた状態からこれを「結ぶ」。先輩とやる限り、結ぶところは甲ではなく重なった手の重力方向つまり相手の橈骨端に自分の尺骨端がずっしり乗るところ (Fig.6 A)。結ぶのは空間ピン止めなので底を動かさず、自分が足でいい位置まで動いてフリーな方の手に乗せます(B)。投げようとかしないで、真下に落とします(C)。その時まで右手が相手の手を固定しているので、そうなります。 

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 Fig.6 A,Bのセットポイントは、空間の同じ位置を指している。

 

 5. 「結ぶ」をやる。

じゃあ結ぶの自体はどうするのか問題です。意識については私はよく分からないので肉体についてトライしました。受ける側としては、軽すぎてもだめだし、ぐいぐい押されてもついていく気になれません。しっかり入ってるけどこちらも耐えられて、でも押し込めないかんじ。こちらがいい状態の腕を作れると受がついてきてくれることが多かったです。

いい状態の腕とは固すぎず弛緩し過ぎず最低限の力で伸ばしているような「拾うときの手」です。昔に、これは伸筋側を使うのかと考えたことがありますが、これだけでは「折れない手」は作れるがくっつくまでにはいきません。たまにうまくくっつくときの手は、自分でもどういえばいいか分かりません。私は朝起きて伸びをしたときに「これじゃないか?!」と思いました。すべての関節裂隙が広がって気持ちいい感じ。つまり筋肉は屈筋であれ伸筋であれ伸ばしている。それで関節を広げている状態 (Fig.7)。そういうイメージであれば、いわゆる気を流している感じに近いのではないかと思います。

 

6. 筋肉より関節かもしれないこと

私は気は分からない自覚があるので気の流れと自分が言うと逃げになりますから、考えてみましょう。関節には関節包に液体が閉じ込められていて体積は一定です(A)。関節包を包む腱が引っ張られると液体の圧で裂隙は広がる(B)。そのことで関節を固定するというのはあり得るように見えます。 

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 Fig.7 本当は腱はこのような付着ではない

 

イメージだけでなく実際に「拾うときの手」では関節は広がっているのでしょうか。ちょうど本日よその部署に最新機器が届いたので、こっそり借ります。新品メカの一発目が合気道の「拾うときの腕」検査で申し訳ないですが。エコーでは再現性が乏しいので、できるだけ何度も測ってみます。肩関節が一番広がってくれそうですが、自由すぎることと肩甲骨の引っ張りが関与するので不適当です。手首関節は橈骨側と尺骨側を同時に描出できなければいくらでも不正ができます。指関節は小さすぎて誤差かどうか判断しにくいです。というわけで肘関節を選択します。

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 Fig.8 狂暴なのに意外と華奢でかわいいマイエルボー

Fig.8の2枚組の右が「拾うときの手」です。画面左の丸いのは上腕骨で滑膜表面を、むかいの橈骨頭は骨膜レベルで測ってます。「拾うときの手」ですこし開いています。数回測定してもだいたい0.5mm前後の裂隙開大を認めます。力むより拾うほうが単関節でこれくらい開くので全身の関節がこうなれば結構な効果がでても不思議はありません。この状態は気持ちいいし。(参考に条件を変えて何枚か載せます)

 

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 7. 互換性のないOSが搭載された個体に絡まないでくれると助かる話

日常でよく、頭がいいとか悪いとか人は言いますが、私はそれは幻想ではないかと思っています。天才とか障害は別にして、人間に頭のいい悪いは存在しない。載ってるOSが同じであれば言葉が通じるので頭がよく見え、互換性がないものだと話が通じなくて頭が悪いように見えるだけです。

普段開催している私の稽古会に結局常駐している面子は揃いも揃って理系ばかり(理系文系という分類も占いレベルと思っていますが慣用句として)。私とOSが違う人は参加しても面白くなかったのでしょう。それか、宗教・オカルト・スピリチュアル禁止ルールが味気ないのかもしれません。不幸なことに教育制度が多くの人を数字アレルギーにして、数式とか論理は憎まれ、精神性の低いものとみなされる傾向があります。そうかもしれませんが、残念ながら数字でしか思考できないOSの者もいますので、そういう人も合気道を楽しむための避難所という稽古会もあっていいかと思います。

情報を発信していると諸先輩方から、理屈ばかりこねて合気道の本質を見失っているのではないかとおしかりを受けることも増えました。私は本質という抽象度の高い単語が含まれる時点で質問の意味も分からないため無視してしまって恐縮です。私を含め人口の約1%を占めるこういうOS搭載個体群は、合気道の本質を生涯知りません。楽しみのためだけにやってます。 これから合気道人口が増えていくなら、身体条件やOSタイプの多様な集団がそれぞれ楽しめて、自分なりに理解することを優しく放置してくれるようになるといいと思います。私が将来持つ道場は少数派向きになる予定です。マイナーすぎて合気道のメジャーストリームには迷惑をかけることはないでしょう。

 

私達にとって、愛するということは観察・分析すること。「冷たい科学者の目」なんて言い回しがあるが偏見です。自然科学者ほど世界のありのままを熱烈に愛している者はおりません。逆に、スピリやオカルトに対して、「せっかくその素晴らしさを包み隠さず晒している実世界に、なんの不満があってわざわざ陳腐なストーリーを被せるのか?」という無理解・傲慢へ陥りがちなので、私にも自制が必要です。彼らは彼らでそのように世界を理解しようとしているからです。このようにお互いまったく疎通性がないので、それが改心させてやろうという善意の発露であれ合気道への忠誠心からであれ、互いを非難することに時間を使うのはもったいないです 人生はすぐ終わります。そんなことより、合気道楽しいよね オワリ。