019/8/23 (金)
1. 何が効くか分からないときは、なんでもやっちゃえ
2. 「意図せぬ動き」を意図的にトレーニングする2つの要素
不合理に見える遠回り
以前、「正しい突きをマスターしておくのは武道の基本」だから空手を習うようにアドバイスされたことが2度ありました。合気道では使わないし、痛そうで怖いので先延ばしにしていたところ、最近3人目から同じことを言われたので、とうとう練習を始めました。(なんで空手やねん。)と自分でも奇妙に思いながら。
1.不意の動きをどうやって意図的に訓練する?
ラッキーなことに、知人の一人が実は沖縄空手の高段者でした。ある夜 彼の道場からの帰り道で倒れそうな傘に手を伸ばした時に、(こんな時のとっさの動作は猫ぽいな)と気づきました。私は以前から、「猫の動きには 準備動作が無くていいなー」と漠然と思っていましたが、人間もけっこう同じ動きをしてます(Fig.1)。
Fig.1どちらもよくあること
私が合気道を真面目にやるきっかけとなった成田新十郎先生は、猫の動きを「起こり」と呼びました。ふいに、とか、つい起こってしまう動作のことを指すようです(Fig.2)。武道で使う「起こり」という単語は、「準備動作、振りかぶり、助走」を表すことが多く ややこしいので 、ここでは「不意の動作」と言い換えます。考える前にふと出る動きです。こういう動きは誰でも毎日のようにしていますが、稽古などで「やろう!」と意図的に行うのが難しいわけです。『…起こりを取ろう」とするとそれは”作為”となり、結果として起こりをとることはできない。(p19)』からです。(引用元は文末リンク)
Fig.2 だれでもやってる動き
実際それを重視して色々工夫しながら稽古して2年以上経ちましたが一向に身につきませんでした。成田先生が発展させた「中心帰納」がそのテクニックなのですが、微妙なものでなかなか遠い道のりです。「合気道は所詮才能が全てなのかもな。」と諦めかけました。しかし今月に偶然 、これの習得を加速するには、2つのシンプルな練習要素が役に立つようだと分かったので、記録します。
2. シンプル練習その①: とにかく一度体験してしまう。
偶然ではなく意図的に「不意の動き」をしてみる実習は多くの人が工夫してます。先日、杖の先生が稽古の終わりに1つの実習をしてくれました。はじめに先生がするのを見たときは「普通の人がそんなに早く動けるように筈がない。よほど修行した先生にしかできないだろう。」と思いました。私が何度か失敗したころに 先生が呑気な調子で「ああ、これは あと数回で出来るなぁ〜。続けよう。」と仰ったのです。何年も修行するようなものだと思い込んでいた私は、 (え?そんな軽い感じのものなの?)と虚を突かれました。するとできました。届かないはずだった物がちゃんと手の中にあるのです。が、自分がどうやったのか思い出せません。不意というやつです。
Fig.3「!!」「まあ、それは大したことではない」
「自分ができた!」という物的証拠があるのは、とても良いです。意識系の技は対人で実習する場合(気のせい または忖度かも…)という疑念が拭えないのが面倒なところです。なので対物でも行えることや、数字や物質的証拠が残ることのインパクトはすごいです。
このことから不意の動作は、
- デザインされた実習によって簡単に誘発されること
- その時は「できるはずかない」という思い込みを外す心理的誘導が有効であること
が分かりました。将来生徒に教えるときは、早い段階でこの体験を済ませて、「なんだ簡単だったんだな、奥義でもなんでもないや。」と生徒の認識を書き換え、スキルの1つに落とし込むプロセスを組み込もうと思いました。これが要素その1です。
3. シンプル練習その②:実際に当てる攻撃で大脳を眠らせる
現代の合気道では多くは実際に当てる攻撃をしません。それは合気道の良いところでもあるし、道場毎の稽古目的に沿った攻撃スタイルをお互いに守るのが礼儀だと思っています。が、「不意の動き」の稽古をするには、ゆっくり攻撃は大変難しいものになります。殺気が出まくっている攻撃のほうが、素人には分かりやすいです。もちろん最終的にはゆっくり攻撃であろうと、もっと言えば攻撃前であろうと「入る」ことがベストです。でも初めからは難しいので簡単なのからやるのです。
合気道の門人同士でやるより、安全性と効率の良さという観点からは習熟した空手や打撃系格闘技の人に攻撃してもらうのがよいと思います。後述する「びびらせ」には、練習相手に合わせた程よいスピードと、それを確実に寸止めできる高度な技術が必要だからです。
Fig.4 「ビビらせるつもりではなかったのだが」
3-1. 大げさな意識の動き
合気道の型を覚えるとき、初心者はわざと大きな動作で行うことがよい練習になります。意識の訓練も同じようです。初めは極端な意識で行きましょう。
3-2. 極端にびびる
攻撃は怖いものです。合気道の攻撃の仕方はおそらく目的が違うために、ヒビリ練習に使うには能のような「見立て」という知能的なプロセスを要します。「手刀は剣で切ってくるものとします」というやつです。わりと大脳を使う。一方、ものすごいスピードのパンチを寸止めされるとき、大脳を経る間もなく体が「攻撃された!」と認識します。要は、めちゃ怖いのです。「見立て」とは逆で、「寸止めしてくれると大脳では分かってるけど、体は固まり情緒は恐怖方向に針が振りきれちゃう」状態です。もう考えなくていいのです(Fig.5)。
Fig.5 ちゃんと生理的変化が起こるヒビリ方
3-3. 極端に殺気を出してもらう
習熟した人は殺気のチューニングもできますから、わざと殺気を派手に出して分かりやすくしてもらいます。すると逃げまどっているうちに、パンチが繰り出されるよりわずか先に殺気が発せられるのが、なんとなく感じられます。その隙間を、上記の杖の先生がやった方式で「知るより前に動く」します。毎回は無理ですが、たまにできます(Fig.6)。たまに、でいいと思います。大事なのは、逃げまどっているときと、知るより前に動いたときの、自分自身の違いが 腹の底から実感できることです。後者では相手の動きが一瞬遅くなったように感じ、なにより自分の心に恐怖や不安がなくざわつきが消えて静かです。つまり、「たまたまよけられた」のではなく、まったく別の機構を使ったのだと理解できます。
Fig.6 よけられたかどうかよりも、自分の波立たなさが指標。ちょっとくらい当たってもいい。
このように、身体操作同様 意識の訓練も大げさにやると、素人の私にも分かりやすいのです。とりあえずはここからスタートし、時間をかけて先生のようになることを目指せばよいのです。つまり、相手が拳を打ち出す前に普通にトコトコ入っていき、固まっている相手を物みたいに寝かしてしまう。第三者からは、やらせのように見えてしまう。もうここまでくると空手も合気道も同じようです。突きも蹴りもしないのだから。ほんとうに武道は入り口が違うだけで、目的地は同じだなあと思います。自分の入りやすい入り口から、上りやすい階段で。
4. 何が役に立つかは前もっては分からない
のは、私の推論能力の無さでしょう。他の人はもっと効率よく行動を選択し、最短距離を走っているように見えます。しかし私のような推論能力に欠ける人は他にもいるでしょうから、役に立てばと思って今回の記事を書きました。
杖にしろ空手にしろ、はじめは「あまり関係なさそうだな。その時間を普段の合気道の稽古に使った方がいいのではないかな?」と半信半疑で始めましたが、どちらもはじめに予想していたのとは全然違う効能を発揮して、互いに融合して合気道にとても役に立ちました。もしかしたらアドバイスをくれた先輩たちは、はじめからその効能を分かっていて私に勧めたのかもしれません。私に何が欠けているか、はたから見る方が丸わかりだろうから。これからはなんでやねんと思う内容でも、信頼できる人達のアドバイスは聞いておこう…。とりあえず一度はやってみて、違ったらやめればいいのです。
Fig.7 何やってんだろう自分?と流されまくるのも、驚き多き日をもたらしてくれます。
5. おまけ:迷ったとき読む本
「後の先」「先々の先」について。何だっけ?と迷ったら初心に戻りますよ。
Fig.8 大抵のことは書いてあるスーパーマニュアル
以下引用:
”…目は見るのではなく写すもの。…見ると、見る→考える(判断する) → 行動を起こす、という順序を立てることになる。」「『見る目』、分別するから所作となる。技術となる。『写す目』…自然になんだかわからないがでてしまうもの。”
”「起こりを取ろう」とするとそれは”作為”となり、結果として起こりをとることはできない。(p19)。”
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