大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

稽古記録56 無元塾大阪「成田伝合気道講習会」2018.9.17

無元塾 初の大阪での、成田真伝合気道です。昨日の「中心帰納入門」より一段高次の説明と、それに囚われてはいけないという点が入門より難しいです。入門を受けていると早い(というかいきなり成田伝を受けるとビックリ体験だけで終わってしまう恐れがあり勿体ないです)。(成田伝合気道講習会のお知らせ - 母体武道 合氣道 無元塾のホームページ!

 

【1】入身(いりみ)、の説明放棄

いろいろやりましたが、私にとっては「入身」に尽きました。稽古記録と言いながら、詳しい説明を記すのは避けようと思います。説明しようとすればするほど、受けたときの感覚の、言語化できない部分が取りこぼされたり、言語化することで感触の記憶の方が上書きされて変化してしまう気がするからです (Fig.1)。

なのであまり参考にならないかもしれませんが、基本的すぎる一般的な誤解などを記録します。

  f:id:fanon36:20180919014512p:plainFig.1 敢えて言うなら入身ってこんな感じ

 

 入身という言葉が定義されていなかった

私は「入身する」とは体捌きの一種で、入り身投の時などに受の背中側に入ることと理解していました。普段の所属道場の先生と生徒も、こんなふうにこの用語を使っていると思います。盛平先生の説明を聞き書きした内輪の本があり、日本語版は手に入りませんが弟子が英訳したものが残っています。その本でも盛平先生が足を受の背中側に入れる写真の注釈に「irimiをして…」とあり、私は(やっぱり入身とはその位置に足を使うことなんだな。それにしても大げさな言い方だなー。)と思っていました。

私たちはもしかすると、開祖が見せた動きを見て それだけに意味付けするという間違いに陥ってしまいがちかもしれません。開祖のころは、合気道をする人は同時に剣術やほかの体術をマスターしていることが前提で、「入身」とは何か分かっているのが当たり前という共通言語だったために、特段の説明もせず「入身して…」だけで通じていたのではないでしょうか。

 

入身をやってみるには⁇

このたび入身についても中心帰納入門の時と同じく段階的に分解して説明していただくことができました。

ところが中心帰納で腹の力を抜くことの効果については、何回かに1回という程度ではあるものの できたように思えるのですが、入身は 今までも無元塾で繰り返し教えていただいたにもかかわらず、私は「あ、これかな?」という程度にすらできたことがありません。今回も大変遠いままでした。しかし収穫として分かったことは、これは絶対に必要だということです。

こんなぼんやりした内容では、記述の意味がありませんね。なんのことだろう?と興味を持たれた方は、実際稽古にお出になってみることをお勧めします。もったいつけて宣伝しているわけでないです。このブログの基本スタイルに沿って、読み手に少しでも分かりやすくする為に細かく分解・説明しようとすると、微妙で壊れやすい感覚が霧散して思い出せなくなりそうで怖いので今回ばかりはやめます。そのかわりに、もう少ししっかりしたものに成長させてから自分で説明することを約束します無謀にも。半年くらいお待ちください。

 対面した相手に自分の目や手に視線を集中させておいて、相手の周辺視野で体幹だけ僅かに距離を詰めているように見えますが(まさしく「入る身])、それだけではないということです。

 

【2】体を一体に、でも分割してコントロール

入身以外のことも覚書としてちょっと触れておきます。例によって結んだ箇所(片手持であればその上肢)はテンションを保ち、腹はリラックスという、体の部分部分の緊張度合いをバリエーション豊かに使い分けるという身体操作です (Fig.2)。私の場合は、どうも緊張すべきところが抜けていて、リラックスされるべきところに力をがちがちにいれるという真逆のことを普段はしていることに気づきます。f:id:fanon36:20180919022105p:plain Fig.2 分割して意識してみる

 

また、圧力を維持する上肢にしても、圧力を変えないようにするには常に相手の圧を入力して、それに対して微調整し続けなければならないので、理屈で言えば手に意識を残さなければなりません。同時に手のことは忘れなければなりません。

しかしこれは、繰り返し練習でクリアできそうに思います。同じ圧でバランスを取り続けることはオートマ化して無意識にやらせておく、というのはサーフィンやスキーなどスポーツ選手は皆できているように見えるからです (Fig.3)。練習を繰り返しましょう。

f:id:fanon36:20180919021731p:plain 

 Fig.3 うまい人は足で均等に波を踏むことは体が勝手にやっている。

 

【3】呼吸

いわゆる呼吸法です。合気道でいう「呼吸」はいわゆる禅寺でいう呼吸法や瞑想法のものとは違うだろうと思っていました。もちろん達人の域に至ればどれも同じかもしれませんが、いまのところは、「気」などに興味のある人がよく言う呼吸法と同じだと聞いても、違和感を覚えてすっと頭に入ってこなかったです。

今回紹介された成田先生の説明は、大変腑に落ちるものでした。以下引用: ”…相手を意識したら(出したら、発したら)、すぐに元の自分(中心)に戻ること、それが呼吸というもの。”引用終わり

初めて中心帰納稽古に出たときに、繰り返し中心帰納し続けることは息を吸ったり吐いたりすることに似ているな、と感じたことを思い出したからです。言葉は言葉にすぎませんが、各人固有の言語センスにしっくりくる表現に出会えることは幸運です。

 

【4】いつでも練習できる

立ち方などは毎日目が覚めている間中できる練習です。言われてみれば当たり前ですが思い至りませんでした。実際日常生活の中で隙あらばなんらかの合気道の練習をしている人はいますね(電車の中で自分の手をもみもみしてたり、壁をじっと押していたり)。私は自分が上達しないのは稽古時間の絶対量が足りないからかと考えて、この稽古会を始めました。会と名付けたものの、当初は1人でした。貸し道場で、1人で始まりの礼をして、「じゃあ膝行から始めます」とか言って1人でごそごそ、もう恥ずかしい。そのうち見かねて参加してくれる人達が現れてくれましたが、まあ本当に挙動不審な自分でした。今となっては、わざわざ道場を借りなくても普段の生活で練習できることが分かっています。稽古会は稽古会で、人との交流という別の意義を持ち始めましたのでこれからも続行します。

 

しかし合気道好きは変わった人が多いです。面白いですね。