柳浦二丁目の千里眼 (後)
(続き)
私は学校を出てからずっと本土で働いている。忙しい生活の合間に昔を思い出すことが増えた。仕事で関西を通過する機会があったので、そこにいる姉と食事をすることにした。
長女である姉は、これまた私が小学生の頃に家を出たのでよく知らない人である。
松竹座裏の、座席数の少ない料理屋を姉が選んでくれた。芥子色の味噌を載せて焼いた鮑が、驚くほど海の香りがした。二十数年ぶりに昔の話をするついでに、姉に一体兄は何だったと思うかと尋ねた。
2人は年が近かっただけに私よりは色々話すことがあったらしいが、肝心の千里眼については殆ど話題に上らなかったようだ。姉によると、兄自体が千里眼にあまり興味が無かったのではないかとのことだ。ただ、どのように失せ物の在り処が分かるのか尋ねた事はあったそうだ。
その時の返答によると、在り処だけが真っ暗な画面の中央に浮かんで見えるとのことである。背景が見えることは稀なので品物の大きさは分からず、そのために間違うことがあったと兄は姉に話した。方形の木箱が見えた時に、おそらくあれは長火鉢 (当時はまだ年寄りの家で見かけた) だろうとあたりをつけて、失せ物は長火鉢の引出しにありと依頼者に告げたところ外れだった。ずいぶんのちに失せ物は携帯用の裁縫箱の中から見つかった。それは持ち手がなく 縁から飛び出たくけ台が火箸のようであるさまなど、形だけなら小さな長火鉢そっくりだから無理もない、と依頼人自身が何かの折に母に語ったという。
それきり姉とは会っていない。私にはああいう人たちのことは分からないが、兄にしろ姉にしろ、普通の生活はできないものなのだろうか。大阪で姉と再会するまで姉もそういうふうだったとは知らなかった。姉の場合は見えるのではなく言葉が聞こえるのだそうだ。ともかく姉は、そういう音は聞き流して相手にしないと言っていた。もしかすると幻聴のたぐいではという考えが浮かんだが、私がその考えを口にする前に、姉自ら あんなものは幻聴と同じだから無視しているのがいいのだと言った。
そのうちもう一度姉に会って、例えばどんな言葉がどんな声音で聞こえるのか尋ねてみたいと思ってはいるが、電車ならすぐの距離だと先延ばしにするうち たぶん二度と会うことはない気がする。
終