2019/61/13(木) 19:00-20:00 住吉道場 吉田先生
1. 姿勢と意識
2. つま先と剣先
姿勢を正して行うと全然違うなという回です。でも意識がついていかないと途中で止まるという回でもあります。
1 片手両手持呼吸法
軸を前に倒さずに、なにか拾いに行くようにします(Fig.1)。その手に受がついてくるかんじです。
Fig.1 ついてこなくてもいいからきれいに座る
2片手両手持一教押込
内転換して返して一教にします。杖でやると両端を同じように持つとぶつかって動きませんが(Fig.2 A)、「一教やろう。」という意志で相手に入ると(B)、転換した時にはひっくり返しています(C)。
Fig.2 これを徒手でやる
ですが、どうも遅れてしまって難しいです。同じ困難さをどっかで経験したなぁと思い出してみると、意識が遅いというやつです(稽古記録127-4参照)。それでやり直してみると少しはマシです。しかしなかなかターボがかからないので困りました(Fig.3)。
Fig.3 遅れると逆に押さえ込まれます
3. 片手両手持小手返
これも転換した時には手刀を立てています(Fig.4 B)。体幹に近いぶん、一教より速くできます。というより、杖の返しよりも小太刀振り上げの方が「やり慣れた動作」だからでしょう。体に動作をインストールしておくのは大切です。
Fig.4 小手返す気なので低めになる
しかし今度は姿勢が悪くなるという失敗がありました。
Fig.5 気を抜くと仮面が割れる
4. 片手両手持入身投
やりたいことに意識を先に持っていきながらも持たせた手には方向性を消すという複雑なやつです。手にこだわらないようにするということです。
Fig.6 A:転換 B巻き上げ C:入身投
体の一部を切り離すのは 体全部を一体として使うということに反しますが、相手まで含めて1つの単位と考えると矛盾はしません。
5. できないことの具体化
できてくるとどんどん抽象化されることの逆で、分からないことはより具体化していくと正体が見えたりします。今回の稽古では意識の速度と姿勢が、やっぱり出来ないなと分かります。世の中には「できないという言葉を口にするな」というポジティブ原理主義者もいますが、”これが出来ないぞ” と知ることはありがたいことなのです。何もかもできないが一体なにができないのか分からないという状態に何年苦しんだことやら。
6. おまけ: 姿勢補正機としての木剣
わたしは素振りを繰り返していると80°くらいで剣先が外にぶれます(Fig.7)。意識すると直りますが何十回か経つとまたぶれます。左右とも同じぶれ方なので小手先や筋量の左右差ではなくもっと根元に原因があると思われました。色々試してみると、どうやらつま先の角度(股関節と骨盤の角度)がまずかったのです。
Fig.7 Ecuador celestial:天球赤道 Ecuador:赤道 El cenit:天頂
「つま先を前に向ける」ことの許容範囲は案外狭く1cm以下のズレで剣先ぶれが出現しました。自分にとって、どの角度がベストの「つま先を前に向ける」なのか、一度は確認した方がいいなと思います。例えば外反拇趾の人はつま先よりも中足骨の遠位端を目安にする方が恒常性が保たれるかもしれません。私の場合だと足の内側縁〜拇趾内側を延長した直線がそうです (Fig.8 A)。
Fig.8 A:足の内側ライン B: 拇趾中心線がベストの人もいるでしょう C: 中足骨(外反母趾)は拇趾爪先を目印にするのは不適当かもしれない
身体感覚ではかなり外股に感じましたが、実際測定すると真正面でした。癖がついてしまった箇所の身体感覚はあてにならないものです。当初は落ち着きませんが数日の補正ですぐ慣れます。週に一回、床に貼ったビニールテープの上で修正します。足裏で確認できるので目線を下げなくてすみます。テープは5mm幅くらいに細く切って二重に貼るとより正確に認識できますが結構手間です。一番楽なのは荷物紐を紙テープで固定して使い捨てです(Fig.9)。
Fig.9 畳の縁があれば話は簡単なのだが