柳浦二丁目の千里眼 (前)
下の兄が千里眼で、集落内では有名だった。失せ物を当てることができたので、時々近所の海女さんなどが海のものをお礼に持って来たのを覚えている。
紙に書かれた文字を襖越しに読むことも得意だった。地域の集まりでお酒が出て賑やかになってくると、余興に呼ばれて喜ばれていた。大人の集まりに参加を許されるなど、扱われ方が子供の一員らしくなかった。私は九つほども年が離れていたこともあり特に親しくはなかったが、そういう人もいるのだと思っていた。その兄は所帯を持たぬまま実家で亡くなった。31歳くらいだったはずだ。朝布団の中で冷たくなっており、心臓発作かもと言われた。すでに私は本土にいたから聞き伝えだ。
今たまにふと、あれは何だったんだろうと思うことがある。子供の頃は、一緒に遊べるような年の近い同胞を持つ同級生が羨ましかったものだ。思い出せる感想はそれくらいだ。
ほかの私の家族はとくにかわったところはなかった。父方の大叔母お寅婆さんが親戚内ではなにか伝説的なひとだったと、なぜか母から聞いたことがあるが詳しくは知らない。ここでは、同世代なのにまるで昔話のように遠い兄たちの話をしよう。 (続く)