大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。漫画、小説、修行の旅が混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。

深夜回診8

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(続き)

正月明けにやって来た、Sさんの親戚は立派な「普通の人」でした。

県内といってもほとんど県境の町から、何時間かかけて来院しました。田舎の主婦、もしくは子育てが一段落して仕事を再開した地方の事務員という印象の中年女性です。

いきなりの話にも関わらず状況の飲み込みは早く、判断は適切。一瞬医療関係者かと思いましたが、これは医療関係者の驕りというものです。現実的な判断を臨機応変に下すことにおいて、人生の困難を地道に乗り越えてきた「普通の人」の、地に足がついた常識的感覚に勝るものはない。

 医者が患者に説明し、患者が理解した上で同意をえることをインフォームドコンセント(IC)といいます。胡散臭い外来語ですね。だいたい英語のinformもconcentも意味が分かりません。日本語で近そうな単語を当てはめていますが、日本語にない概念は訳せません。

一般人が医者と同程度の理解に到達するのは何時間かけて説明したって無理です。そこで医者は説明を端折るわけですが、どこを端折るかで聴き手の頭に構築される現実は全く変わります。よってニュートラルな情報提供というものは不可能で、初めから方向性をもったものになります。そんな状況で「あなた同意しましたよね」と言われたら、満足感より責任転嫁された気分になるでしょう。

逆にインターネットで調べまわったり「知り合いの医療者」に尋ねたりして、理解できないところを全て説明させようとした挙句、何も決まらずパニックになる人がいます。医者に騙されまいとすることに固執する人です。

元気だった自分が今病気なのは誰かが何か悪いことをしたからに違いない、というタイプの現実否認はよくあります。あなたの周りにも、「それいま大事?」ってことにこだわって話が進まない人、いるでしょう。本当の問題に向き合う勇気がない臆病者です。

治療方針の場合、大事なのはいかに騙されないかではなくいかに治療するかです。あえて言えば、いい治療をしてくれるなら騙されてもいいではありませんか。自主性や信念がないがしろにされる危険性を心配する向きもあるでしょう。大丈夫です。最後までそれに我が身を委ねられるほど強固な自主性や信念を持つまでに自我が成熟している人に会うことは稀です。半端に覚えた主体性とかいうコトバに振り回されるより、信頼できる専門家に任せればいいのです。

使いこなせない生煮え概念に振り回される我々はあわれです。平時はどの概念を使おうと大した差はありません。しかし緊急事態では、良い悪いではなく適材適所、そこで使い慣れたものが役に立つのです。新しいものを取り込んで進化することは大事ですが、切羽詰まった生死の場面においてまで、誰かに認められ褒められるために購入した使い慣れない道具に振り回されるはあわれです。そういう道具を導入するならもっと本気で使い方を教えるべきだった。集団購入させて教えたことにしてきたツケを目の当たりにするとハラワタが煮えくりかえります。私たちは何をやっているのでしょうか。

 

上記の、信頼できる専門家、というはランキング情報誌の中には絶対に見つかりません。逆説的ですが実際のところ、あなた自身が、あなたにとっての信頼できる専門家を生じさせるほかありません。この件はいずれ他所で話します。)

 

 この中年女性の態度は文章にすると事務的で冷たく感ぜられるかもしれませんが、そんなことはありませんでした。何で自分が?とぐずりもせず、おそらく全てをお互い様と受け入れ、自分の時間と手間とお金を使って淡々と行動してくれました。親切とはこれを言う。

それにひきかえ、不要にSさんの鼻から管を出し入れしてた私は臆病者の馬鹿者に相違ありません。

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私達医者は、いつも患者を恐れています。いや、他の医者は知りません。私は恐れます。その結果このように要らぬ苦痛を与えることは日常茶飯事です。私は同僚から、やりたい放題言いたい放題の豪胆者と思われているようです。最近知ったところ、「あの患者さんも、そろそろ"○○先生の刑”だな」という隠語は、聞き分けのない患者を私の外来に回すことだそうです。誰だって厳しいことは言いたくありません。優しい良い先生だと思われたいのです。酷いですね。しかし、その私からして、これほどにビクついているのです。恐怖は保身と攻撃にしか生まないというのに。こんな医療崩壊後において(崩壊中ではありません。もう崩壊完了して息の根が止まっているので、いくら叱咤しても犯人探しをしても叩いて懲らしめても、蘇りはしません)、どうしたら楽に?

『恐れるということほど、恐るべきものはない。』ヘンリー・D・ソロー、私も山で一人暮らすことを具体的に計画し 休みごとに下見しています。