大阪合気道自主稽古会

合気道経験者のための不定期な稽古会です。忙しくて道場に通えないが時々稽古したくなる人向け。流派は問いません。

深夜回診4

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 (続き)

一方、明らかにこのまま安らかに死なせてやるべきであろう患者に、家族から延命蘇生処置を強要され、仕方なく目を背けながら処置しなければならない時、"辛いが仕事だから仕方ないのだ…" と悲劇の被害者ぶる医療者もおります。一寸待ってください。べつに仕方ないことはありません。

当然のことながらご家族様の希望といえども絶対ではない。医学的に意味がないと思われる処置(*)を行わないという判断を医者が下すには、本来誰の同意もいりません (*medical futility: 期待される効果が1%以下と考えられるもの。Schmeiderman. Ann Intern Med 1990: 112: 949)。ましてやそんな判断を、素人、しかも情 (愛情、または年金目当てなどの事情) に翻弄されて当然の立場である家族に丸投げしてはいけません。医療者もその方が楽だからといって、ちゃっかり奴隷ポジションに居座って思考停止を決め込んではならない。いくら家族の希望でも理不尽不適当であれは従う義務はないのです。当たり前です。とはいえ残念ながら現場ではこの理論は通じないのも事実です。

私は日本人はおもてなしが上手だと外国から褒められて喜んでるのをみると 、「また難病 "いい子ちゃん症候群" が猛威を振るっているなぁ」と常々憂います。どんな場合でもおもてなしのこころで「しか」物事を判断できないだけです。温泉宿ならおもてなしでいいです。しかし強靭な理性と信念をもってしか判断できない場面で、情緒や思いやりを振りかざして乗り切ろうとするのはまるで学級会です。他人の顔色を伺い、判断の責任逃れをしているくせに、左右の反応をチラチラ見ながら「ひと気持ちを考えて」などの言葉で隠しているだけです。空気という絶対神を信仰する原理主義に支配され、世間様からの目が四方で光り、違反者への制裁がそこここで吹き荒れている魔境、日本…!冗談ですが、少なくとも専門的仕事の価値がどれだけ空気に従順であるかどうかではなく、どれだけ自分の責任で判断する覚悟があるか で評価されたいです。

  

こういうことをほったらかしにしている医療者の自業自得とはいえ実際、生物学的に死んでいない状態をただ引き延ばすことに携わるのは、冒涜感は耐え難いし自分も将来こんなふうにされるのかと暗澹たる気持ちです。治療費に何百万円もかかることがあります。そんなに金をかけてよいなら元気な頃に使わせてやったほうがいいのに。この末期の医療費を回せば、この人の人生でどんなに助かったかしれない、例えば教育も予防注射も子供の給食もほとんど賄えたんじゃないか?

 

以上をまくらとして本題です。次回、「では私自身はどうすれば比較的楽に死ねるのでしょうか? この日本で?」です。

 

※ 言い忘れましたが、これは被害妄想と神経症をわずらった救急救命医が、仲間の友情と愛によって洗脳、というか成長を果たし、ついに「どこに出しても恥ずかしくない社会的体裁」を手に入れるというのがテーマのファンタジー小説です。