大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

稽古記録21 番外編2018.1.8

2018/1/8 月祝 雨 芦屋稽古会

皆さんはニューロンは好きですか?私は好きです。今日は嬉しい、合気道ニューロンという好きなもの同士の融合です。

 

【合気上げは基本練習のパッケージ】

いつもの「脱力」と「入力」と「折れない手」セット。脱力は「方向性を無くす」作業ですから、力を入れないでおくいう程度ではいけません。芯からの脱力です。訓練を要します。掴む方は戸惑いや、やりにくさを感じます。

入力は「フェイクの方向性を入れる」作業です。相手にばれない程度に確実に入れる練習をします。さて最後の「折れない手」です。

 

【折れない手を細かく見ていこう】

両腕をのびのびと伸ばそうとしてください。「折れない手」です。しかしそのうち伸びきってしまい、その姿勢で止まります(Fig.1)。この伸びきった停止姿勢は弱いです。折れない手ではありません。何故でしょうか。

f:id:fanon36:20180108151710p:plain Fig.1 同じ腕の長さだがAは運動、Bは状態

 ■ 筋肉の性質

筋が収縮した状態は弱いです(Fig.1-A)。逆に伸びきってしまった後も、その姿勢を維持しようとして筋肉が収縮します(B)。この状態はAよりはましですがまだ弱いです。このときの神経の電気信号は「伸びろ」ではなく「固定しろ」に変わっています。今度はグーからパーにする運動の最中はどうでしょう。筋肉が伸びようとしており、電気信号も「伸びろ」です(C)。この状態が一番強いです。BとCでは筋肉の長さは同じでも、状態であるか運動であるかの違いです。

f:id:fanon36:20180108151744p:plainFig.2 いろんな手の形で棒をへし折る。

 

 ◼︎停止しながら運動する

伸ばしている最中が強いといっても、技のたびに うーんと伸びするのは変ですね。静止状態でも、伸びる運動中と同様に軟らかく強い筋にしたいところです。しかし、実際筋肉組織が停止しているのに運動中と同じになどできるのでしょうか?

 

◼︎運動中と同じなのは筋細胞でなく神経細胞

伸びる運動を細かくコマ割りして見ると、まず脳から「伸びろ」という電気信号がでて(①)、次に末梢神経を伝わり(②)、最後に筋細胞の形態変化が起こります(③)。この過程のどこかに、電気信号は出ているがまだ筋は反応していない、という瞬間があるはずです(②と③の間)。欲しいのはその状態です。筋肉の長さはいまだ静止しているが、「伸びろ」という電気信号が到達しており、「伸びよう!」と準備している (Fig.3) ため筋肉が軟らかく強いのです。これを一般に気を通すと言うかもしれないし、勁も似ているかもしれません。

f:id:fanon36:20180108151839p:plain Fig.3 神経電位レベルの変化

 

 【技に応用】

◼︎ 全身の筋 とくに体幹

合気上げでは、手と肩の力が十分に抜けて伸びることで、強い体幹の筋力と一つに繋がりました。先日の読書案内「奇跡のトレーニング」でも言及されていましたね。肩に力が入ると、そこで力の伝達が遮断されるので、結局腕だけの力になります。体幹の力を伝えるためには末端の弛緩が必要なのです。最終的には、全身の筋がそうなることが目標です。

 

■ なぜ弛緩してしまっていいのか?

とはいえ、そんなに徹底的に弛緩していいのでしょうか?ふにゃふにゃだと危なっかしいし弱々しいじゃありませんか。その答えの一つが、「伸ばすこと」のように思います。弛緩 (一体化) に伸び (強さ) が加わって初めて用をなす、鞭やヌンチャクのようにです (Fig.4)。これらはピーンと伸びる事で急に強くなりますね。

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Fig.4  A: 固定された部位より末端の力(ヒトなら上腕以遠、ヌンチャクなら端っこの一分節)しか使えない  B: 肩の固定を緩めて体幹と一体となることで強力に

 

◼︎伸ばすための外からの原動力=重力

ヨガは弛緩して伸ばしすので理想的ですが、合気道中にあんなポーズしておれません。でも大丈夫。合気道での普通の立ち姿では、実は上腕は弛緩して伸びているのです。何によって伸ばしているかと言うと「重力」という外力です。外力はいいですね。内力はあくまで自前で内向きの力だし、内力によって脱力伸展したってせいぜい縮んでいないという程度です。一方重力は月を引きつけるほど強い外力です。使わない手はありません。重力は重い物ほど強く作用するので、肩に力を入れて自力で腕を持ち上げてしまうと重力の恩恵を受けられなくなります。最大限、重力に引っ張ってもらえる「逆らわない立ち方」をしましょう。それは弛緩することで重くなった腕を重力に任せきった立ち方です (Fig.5)。

   f:id:fanon36:20180109162704p:plain Fig.5 普通の立位

 ◼︎脇は閉まる

合気道では、「脇を締めて」という注意がよく聞かれます。上記の重力のことが分かれば、これは少し違うことが分かります。わざと脇を締めるのではなく、重力に任せたいい脱力をしていれば自然と脇は閉まるのです (Fig.6)。脇が開くということは肩の筋が収縮しているということです。ですから、注意を受けた時は慌てて脇をキュッと締めるのではなく(肩の力が抜けてないのだな)と気づいて丁寧に脱力しましょう。

f:id:fanon36:20180108151911p:plain Fig.6 脇が開くには力を入れる必要がある

 習慣づけるには道場の稽古だけでは足りません。生活の中でいつも「抜けていて」「通っている」ことを心がけましょう (Fig.7)。

  f:id:fanon36:20180108151938p:plain Fig.7  通勤中も取引中も抜けて通っている人

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 <考察>

■ ただの神経電位と筋電位のギャップなのか?

「動かそうとして神経インパルスが出ているがまだ動いていない状態 (末梢神経電位on、筋電位off)」と簡単に言ってもです。神経インパルスがでると筋はほぼ時間差無く動くのです。動かないなら病気です (末梢性の麻痺)。実際、「『動かそうとして神経インパルスが出ているがまだ動いていない状態』にしよう!」と意識したときの神経インパルス情報は「動かそう」ではなく「動かさないでおこう」です。

 この矛盾、どう解決すればいいでしょうか。

f:id:fanon36:20180109162838p:plainFig.8 右手状態から左手状態になる僅かな隙は存在するのか???

 

 ■ 末梢神経電位以前の作業

単純に考えれば、自由意志が運動の源泉ではないかもしれないというSF心を刺激する説が思い当たります(早くは1970年代ベンジャミン・リベットら「準備電位」実験の報告があり、以降マックス・プランク研究所JD.Hynesら(2008)など確認が繰り返されました。批判もあります)。「動かそう」もしくは「動かさないでおこう」という方針決定は表在意識以外のどこかでなされており、それが実際の運動へつながる過程で表在意識に登り私たちは決定結果を自覚します。表在意識は自分が自由意志で動かすか動かさないかを決めていると思い込まされているが、実は動かすかどうかはそれ以前の段階で既に選択されているのです(ただし100%表在意識が意思決定に介入できないというわけではない)。表在意識があずかり知らぬ脳のある部分、すなわち本当の意思決定部署 (本部) が決定を下すことで開始された運動プロセスに対して、その経由地の一つにすぎない表在意識が余計な信号を加えると邪魔なのです。この余計なことをしないようにするのが、合気道的筋肉の使い方のテーマだと仮定します。

 

■ 「無になる」ではない

「無になれ!」というセリフを時々聞きます。ここでの無という言葉が指す状態が定義されていないので、意味がないセリフだなぁといつも思います。例えば、無になろうとして表在意識がインパルスのラインを閉じようとする、もしくは完全に切ってしまうとします(「動かさないでおこう」という意思、もしくは病的意識消失)。するとそれら自体が大きな信号なので、本部は正常な運動を保留してそっちの解決にかかりきりになるでしょう (Fig.9)。呑気に平時の運動信号を発信している場合でなく、「動かさないという指令の履行」もしくは「生存本能発動」する場面だからです。

そうではなく表在意識が「ラインはつないだままで傍観者になる」とき、本部は安心して心地よく適切な信号を送り、円滑に運動させることができるのではないでしょうか (Fig.10)。

f:id:fanon36:20180109162736p:plain Fig.9 断線すると本部は異常事態を察し対処する方向へ働く

 f:id:fanon36:20180109162806p:plain Fig.10 平常運転で傍観してると本部は心置きなく絶好調に信号を送れる。

 

 この「繋いだまま邪魔はしない傍観者の表在意識」状態をつくるために「脳幹意識」だったり「中心帰納」だったりが利用されるのかもしれません。こんなふうに難しいことを言わなくても、舞踏や楽器演奏をしている人は自然とそうなっているように見えます。