夜中よく目がさめる。随分たったかと思うのにラジオ番組の進み具合からすると数分寝ただけだった。不眠症とは思わない。子供の頃からそうなので、作にとってはこれが夜というものだった。
夜半、意識の焦点は変容する。囚われることはない。毎回 夜が明け闇が溶け去り、生活の音が聞こえだすと、ゆっくりと水面に浮上するように日常生活用の意識へスイッチすることが経験的に分かっているからだ。このスイッチの身も蓋もないことといったら、現実感たるものの大幅デフレを思い知らされて、その矮小さのあまり朝っぱらからがっかりする。
それでも過度に狂気めいた考えに取り憑かれた夜は、本当にこの考えが今回も朝になったらちゃんと消えてくれるか、少しは不安だ。
今朝はものすごい水音で目覚めた。秋の夜明け前。豪雨だった。縦方向の洪水。寝る前に開け放していた、庭に出る窓の際の廊下は水浸しだった。大量の水に叩かれて古い屋根が傾ぐようだ。
明け方にだんだん雨脚は弱まった。ついにはやんで、うす青いコオロギが鳴くほどになった。今起きた人にとったら今朝は、秋草から雫を落とす可憐なコオロギの音で始まるのだ。黎明の豪雨、あれは世界が自分だけに見せた本音の姿だ、誰も信じまい…。作のこういう孤独癖はなんとも愛嬌がある。四十を越えてうっすらと自覚もしてきた。