大阪合気道自主稽古会

流派を問わない合気道の稽古場です。小説、漫画、などが混在しています。稽古記録はタグをご利用ください。出典明記があれば図の引用については問い合わせ不要です。。

合気道に於ける意識の取扱い

前回まで無元塾の特別稽古参加記録でした。そこで学んだ中心帰納は、私たちの道場でいう「内面技法(意識の使い方で技をかけること)」と似た部分もありました。この機会に内面技法の扱い方について書きます。

【合気道意識の種類】

■ 対物と対人を区別して理解する

大手系列の道場でも、「技がぶつかるときは自分で勝手にぶつかっているのだ」とか、「力の強い人に掴まれて動けないときは、自分が勝手に動かなくなっているのだ」という、意識使う系の指導は耳にします。どういう意味でしょうか。以下の2通りの意味が考えられます。

① 平常心で実力を出すという意味?

上記の階段昇りや物を持ち上げるのに役立ったように、平常心で実力が出せれば、物体としての人間に対しても、緊張して硬くなるより効果はありそうです。しかしすごい力持ちが相手では、実力を出しきっても全然かないません (Fig.1)。

f:id:fanon36:20171201081800p:plain Fig.1 猫と象

② 火事場の馬鹿力(自己暗示によるリミッターの解除)という意味?

そういうことは稀にあるのでしょうが、「この人は軽い」と自己暗示をかければ軽く持ち上がるという話なら、いかにも胡散臭いです。なぜなら、物体を持ち上げる時のことを考えよう。カラだと思って持った紙袋に実は百科事典が入って居た場合、がくっとなりませんか?本気で軽いと思い込んでいても、10kgの物は10kgなのです。

f:id:fanon36:20171201081845p:plain Fig.2 重いものは重い

①は上手くやった場合、効果の程度はまずまずで信頼度(有効性の範囲)は高いので、真面目に練習して身につけたいです。②は効果は高いかもしれないが信頼度は低い。あてにすべきではありません。

以上は、合気道の意識の使い方として一般的に理解されていると思います。

ところで、これら①②は対人と対物を区別しない考え方です。では対人に限ってみると、第3の意味合いがありえます。

③相手の無意識の協力を得る

我々の言う内面技法(の一部)です。相手の意識を切ったり、無意識のうちに取に同調させます。相手が協力してくれているわけですから、対物以上の効果が期待できます。力持ちに対して技をかけるには、内面技法の併用が必須でしょう。効果の程度は大変高いです。信頼度は、できる人の例が少ないので分かりませんが、頑張りたいものです。

 

 【内面技法の作用機構】

人は集団を作る生き物ですから空気を読んで全体の一部として行動したいと衝動があります。内面技法には好ましい雰囲気または不安をあおる雰囲気によって一体感を作り上げ、受に闘争心や抵抗感を失わせ「無意識のうちに」協力させる、という仮説があります。

この「無意識のうちに」が本当であれば、実に効果のあるやり方です。普通の人は無意識をコントロールできないから、受は分かっていてもどうしようもできないからです。

 

【意識の稽古のピットフォール】

ところがこれが諸刃の剣で、ひとは無意識または半分意識的に相手の望む通りの動きをしてあげたいと思ってしまいます。師匠に機嫌よくなってほしいし、同門と気まずくなるのはいやだし、意地が悪いと思われたくないし…という気持です。その結果、受が気を遣って動いてくれるので、できてないのにできたと勘違いしがちです。「できたつもりになっているだけ」これが、我々の道場でいう内面技法の欠点の1つです(他の欠点は後述)。

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■ ピットフォールから抜け出るために

集団から外れることは生死に関わるため、仲間に阿ることの誘惑は強いです。人間以前にも、細菌のクオラムセンシングや昆虫の相変異という空気を読む性質は生命の進化とともにありました。それと似たオートインデューサーを人間群も持っていて当然です。とにかくそれくらい根深い本能なので、除去などできっこないのです。だから「できたつもりになっているだけ」状態になるのは内面技法を稽古するなら必然なのだと捉え、その段階に嵌る自分自身や、悪気なくあなたを騙す仲間を責めるのではなく、早期発見早期治療を稽古システムの中に導入することが現実的です。気づいて抜け出すためのツールをルーチン化しておくのです。「できたっぽい」⇒確認してみる⇒「できてかった。もっと改善しよう」⇒… という気づき・確認・修正・気づき のサイクルです。

この確認は、気分や感覚でなく技が本当にかかるかどうかで行います。技がかからないときは、できたつもりになっているだけです。

 

■ 対策例

そういう覚悟をもった確認の技をするには、受は「失礼になること」が勧められています。力づくになったり意地悪することではなく、気を遣わず無心に。日常生活であれば失礼にあたるくらい、無関心に受をとることです。そうしていても意識を絡め取られる時は取られるので、そんな場合はただ絡め取られておく。取がうまく出来ている証拠です。

無心の行為は気まずさをもたらしません。それでも凡人ですから、稽古のあとにはできるだけ食堂にたむろし、親密に和む時間を取ります。道場の未来や日本の教育制度など共通の目標について話し合ったり、稽古の録画をチェックしたりします。

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【いいことを無視する勇気と覚悟】

 きちんと合気道してると、道場外で不思議な巡り合わせが起きたり、良いことが起きたりします。面白く嬉しいことです。しかしそれに気をとらわれずに放っておきましょう。それはただ起こります。何の意味もありません。善悪も優劣もありません。Aという合気道行為のあとにBという都合の良い事象が起きたとき、それはAが正しいという啓示ではないのです。多くの人はそれに意味を持たせたり、解釈したりせずにはおれない、しかしあえて それを無視する努力をしましょう なぜならそれは区別(=分断。全体認識の真逆)の始まりだからです。そしてそれは人を容易に横道に迷入させ、そうなると頑張れば頑張るほど本当の目標から離れてしまうからです。努力が呪いになる時です。人目をひく魅力的な「おまけ」に気を取られて、本体を手放さないように。合気道をして得られるものは、合気道すること自体だけなのです。