無元塾白石先生の「中心帰納」稽古会に参加しました。前回初めて体験させてもらったあと、もっと知りたいと思っていたからです。稽古内容は、まず人間が相手の体の動きでなく意識の動きにどれほど反応するかを実験しました。それからその特徴を1つずつ確認したあと、使えるようになるための練習方法を学びました。あっという間の5時間でした。とても貴重な機会であるし、完全openとのことなので、稽古メモノートを記録します。4回くらいに分けて載せます。
※ 正式なものではありません。私が現時点ではこう理解したというだけです。今後どんどん変更したり訂正したりすると思います。むしろそうでなければなりません。
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稽古のプログラムが中心帰納を段階的に多面的に理解しやすい組み立てだったので、稽古順番そのままに番号をふっています。
【1】中心帰納スターター3点セット(結んだ緊張、腹の弛み、脳幹意識)
片手持で。まず結ぶところまで作る。ただ握られた状態では始まりません。これは普通の合気道と同じ。
最終的には持たれる前から始まりますが、ここでは練習のために、握られる→合わせる→ここから中心帰納開始、と確実に行います(Fig.1)。
中心帰納の基礎3点は、<1> 結んだ点(腕)のtensionは維持 <2> 下腹は完全にリラックスし、良い姿勢で <3> 意識≒感覚を散漫に(私にとって脳幹意識に近い)。
Fig.1 基礎の稽古 この3つを繰返し、最終的にはいっぺんに
腕はがっちり緊張し、お腹はとことんリラックスというコントラストが新しい感覚です。下腹に力を込めて、と武道でよく言われるのとは真逆に、下腹は力も意識も空っぽにします。意識するとすれば、それは次で述べる回転球体イメージなのですが、基礎の段階ではとにかく力を抜くことにする。
【2】呼吸投げ
4点目(球や点が回転することで体が動く)
1.の中心帰納では、繋がっているもののまだ平たく広がった感じです。これを丸い球体に整えて回転させる。さらに球が収斂しブラックホールのような、体積のない点になります(Fig.2 C)。この点がクルンクルン回る結果として体が動くイメージ?
Fig2. A: ぎこちない一体感 B: 親密な一体感 C: 点以外なくなった
5点目(出し入れし続ける)
面白いことに、中心帰納という言葉は状態ではなく操作を指すように思いました。だからいったん中心帰納しておしまいではなく、常に繰り返す。呼吸とは吸気と呼気の繰り返して成り立つことに似ています。外界を見る、中心帰納1-5点目をする、外界に出る、1-5点をする、外界に….、を呼吸のように、こまめに出し入れし続けます(Fig.3)。
Fig.3 中心帰納まんが 焦る/平常心/焦る/平常心/焦る…
先生の技を見ていると滑らかすぎて操作とは思えませんが、この出し入れをひたすら細かくしていけば、操作も「状態」になるのかもしれません。無限に細かい不連続体が連続体に似るようにです。
【3】片手を取られる前から1-5点目をしてみよう
中心帰納1-5点目はあくまで意識の使い方です。同時に体が動くとすれば副次的なものです。つまり人は案外相手の意識に反応して挙動を決めたり認識したりしているのだと判ります。だから、接触前どころか身動きする前の相対した時点でも、中心帰納すると既に相手と一体になります。
接触した場合でも、取が手から意識をなくせば、その手を握った受は「手がない??」と一瞬誤認識して混乱します。取が強くなったのではなく受 (Fig.4の上の人)が協力的になってしまうということです。
Fig.4「こいつ」が中心帰納に反応する。自分はやりっぱなしで平常心
中心に戻る、というのは無意識の力を出すことかもしれません。しかし今回新たに思ったことがあります。大脳(自我)で外界を見ているとき、実は網膜を刺激した信号を更に脳で翻訳し意識へ上げているのでかなり恣意的で不正確、というか偏りがあります。方向性があるのです。
脳幹意識にすると、今この瞬間に五感に入る刺激全てを捉えているので自我(判断や解釈)で装飾される前の、より生データに近い外界の情報です。自我(好き嫌いや目的)による取捨選択がなされる前なので方向性がなく情報量も膨大です。よりリアルに近い現状認識ができそうです。ここでいう自我の影響を最小限にすることが中心帰納の役割の1つだと思いました。
【4】正面打入身:中心帰納6点目(入り身)
いつ入り身するか、ではないことが分かりました。入り身する時に入り身するだけであって、タイミングというわけではないらしいのですが、下記の矛盾する側面が面白いので便宜上タイミングという言葉で説明します。
第一の側面は、入り身(に限らず受け方全般)は、相手に合わせるのではなく自分のタイミングで動くこと。中心帰納では相手=自分の脳内現象である外界の一部、なので決めるのは自分しかいない。自分のタイミングですれ違いたいときに (Fig.5 B)。自分というのは意志ではなく無意識。
Fig.5 A: 相手に反応していてはいつまでも主導権が相手のまま。B: 相対する前から中心帰納しているとタイミングは自分のもの。
第二の側面は、受が打ちおろす動作の瞬間では遅いです。「打とう」という意識の「う」時点であってもまだ遅いです。「打とう」と意識にのぼる前のモチベーション発動(無意識の決断)がなされた瞬間と、意識にのぼるまでのタイムラグをつく。受からすると、まだ打とうとしていないのに避けられない不思議な感覚です。…ですが、これは相手によってタイミングを決めていることになり、第一の側面と矛盾します。どこでリンクするのかな。
続きます。