灰色で表面がごりごりしているブロック塀に、ちょうど目の高さに蝉の抜け殻がとまっていた。火曜日の夕方に秋が来た、と思ったくらいだから、随分長く引っかかっている。
体が中で溶けてまた変わっていくのはどんな気持ちだったろう。
その夜 杵島篤子は薄い夏布団の下で、ふざけてあの蝉を追体験する想像をしてみようと思いついた。昔から篤子は寝入るまでに時間がかかる方で、布団で待つ間の暇潰しだった。
翌朝、作が老いた大叔母をいつものように起こしにいくと、彼女は布団の真ん中に座って白い障子にゆらゆら映った洗濯物の影を眺めているようだった。コクっと首をかしげたりしている。起きているのに作の方を振り向く様子がない。
作は大叔母に声をかけた。篤子は左耳が頭部を先導するような奇妙な振り向き方をした。
篤子が彼を見る目が楽しそうな無関心さで溢れているので、かなり長い間無言で目を合わせているにもかかわらず気詰まりを感じていないことに気づいて作は驚いた。
普段 大叔母は作にとって先代から引き継がれた調度品のように視野の外でぼやけていた。その日は生まれて初めて、大叔母を熱心に観察した。頭の動きに違和感がある。まるで耳の先に目が付いているような。盲目の人のような仕草だが、本当に見えなくなったならもう少し慌てそうなものだ。気のせいだろうか。作が常からそうであるように、他の家人も一向に無頓着だ。作は確信が持てなくなった。今日は観察を続けて、明日もまだ不自然に感じるなら北の崖に診せに行こう。