中心帰納は己の中へ立ち戻ることで無に戻る。考えてみれば理にかなっています。何故なら自己とは本来、外界の情報を処理するための容器とすると、それ自体はカラッポであるので自己に帰れば無であるわけです。
私達の「内面技法」はかなり広い意味合いを持ちますが、そのうちで「スイッチを切る」という部分が共通してると思いました。
下図の斜線部分です。白いところが未探索領域。自分たちの領域すら全貌不明。
A=中心帰納 B=内面技法
どうなんでしょう。技を受けた時の感触は似ていたのです。
追記(2017/9/16)
この記事を書いた後に白石先生から「成田先生はよくここの合気道を『他力本願』と仰っていた」と教えてもらいました。
これも斜線部分ですねぇ!興味深い…。
しかし言葉は言葉でしかないので要注意です。私の属する流派では、それを「努力しなくていい」と解釈し、必死に探求している人を冷笑する人がまれにいました。
考え方は自由とはいえ、例えば「無為自然」を本能のままでいいと解釈したら、それは犯罪行為でしょう。一方白石先生の「第2の本能として自然に出るまで練習しなさい」というアドバイスは、私はとても納得できます。
しかし、「その他力とは無意識を指す」とまで明言されたのは初めてでした。私はもっと曖昧な雰囲気として解釈していました。クリアですね。
本当に合気道には流派がありませんね。個人個人があるだけで。面白いです。